ますが、昔の人が今の小説を読んで、主人公の結局《つゞま》る所がないと云ふ、「武士の浪人ありける。」から「八十までの長寿を保ちしとなん。」と云ふ所まで書いてないから分らないと云ふが、なるほど幼稚な目には、然う云ふ考へがするでせう。妹と背かゞみに於て、何故、お雪がどうなるだらうと、いつまでも心配で/\堪らなかつたことがありますもの。
東京の新聞は余り参りませんで、京都の新聞だの、金沢の新聞に、誰が書いたんだか、お家騒動、附たり武者修業の話が出て居るんです。其中に唯二三枚あつて見たんです、四五十回は続いたらうと思ひますが、未だに一冊物になつても出ず、うろ覚えですから間違かも知れませんが、春廼家さんなんです、或ひは朝野新聞とも思ふし、改進新聞かとも思ふんだが、「こゝやかしこ。」と仮名の題で、それがネ、大分文章の体裁が変つて、あたらしい書方なんです。中に一人お嬢さんが居るんだネ、其のお嬢さんに、イヤな奴が惚れて居て口説くんだネ。(何かヒソ/\いふ、顔を赧《あか》くする、又何かいふ、黙つて横を向く、進んで何かいはうとする、女はフイと立つ。)と、先づ恁うです。おもしろいぢやありませんか。演劇《しばゐ》なら両手をひろげて追まはす。続物の文章ならコレおむすとしなだれかゝる[#「しなだれかゝる」に傍点]、と大抵相場のきまつて居た処でせう。
また一人の友人があつて、貧乏長屋の二階を借りて、別に弟子を取つて英語を教へて居つた。壁隣が機業家《はたや》なんです、高い山から谷底見れば小万可愛や布|晒《さら》すなんぞと、工女の古い処を唄つて居るのを聞きながら、日あたりの可い机の傍で新版を一冊よみました。これが私ども先生の有名ないろ懺悔[#「いろ懺悔」に白丸傍点]でございました。あの京人形[#「京人形」に白丸傍点]の女生徒の、「サタン退けツ」「前列進め」なぞは、其の時分、幾度繰返したか分りません。夏痩[#「夏痩」に白丸傍点]は、辰《たつ》ノ口《くち》といふ温泉の、叔母の家で、従姉《いとこ》の処へわきから包ものが達《とゞ》いた。其上包になつて読売新聞が一枚。ちやうど女主人公の小間使が朋輩の女中の皿を壊《こは》したのを、身に引受けて庇《かば》ふ処で、――伏拝むこそ道理なれ――といふのを見ました。纏《まとま》つたのは、たしかこちらへ参つてからです。田舎は不自由ぢやありませんか。しかしいろ懺悔[#「いろ懺悔」に白丸傍点]だの、露伴さんの風流仏[#「風流仏」に白丸傍点]などは、東京の評判から押して知るべしで、皆が大騒ぎでした。
あの然やう、八犬伝[#「八犬伝」に傍点]は、父や母に聞いて筋|丈《だけ》は、大抵存じて居りましたし、弓張月[#「弓張月」に傍点]、句伝実実記[#「句伝実実記」に傍点]などをよんだ時、馬琴が大変ひいきだつた。処が、追々ねツつりが厭になつたんです。けれども是は批評をするのだと、馬琴|大人《うし》に甚だ以て相済ぬ、唯ね、どうもネ。彼の人は意地の悪いネヂケた爺さんのやうだからさ。作のよしあしは別として好き、きらひ、贔屓、不贔屓はかまはないでせう。西鶴も贔屓でない、贔屓なのは京伝と、三馬、種彦《たねひこ》なぞです。何遍でも読んで飽きないと云へば、外のものも飽きないけれども、幾ら繰返してもイヤにならなくて、どんなに読んでも頭痛のする時でも、快い心持になるのは、膝栗毛です。それから種彦のものが大好だつた。種彦と云へば、アノ、「文字手摺《もじてずり》昔人形」と云ふ本の中に、女が出陣する所がある。それがネ、斯《か》う、込み入る敵の兵卒を投げたり倒したりあしらひながら、小手すねあてをつけて、鎧《よろひ》を颯《さつ》と投げかける。其の鎧の、「揺《ゆら》ぎ糸の紅は細腰に絡《まと》ひたる肌着の透《す》くかと媚《なまめ》いたり。」綺麗ぢやありませんか。おつなものは岡三鳥の作つた、岡釣話、「あれさ恐れだよう、」と芸者の仮声《こわいろ》を隅田川の中で沙魚《はぜ》がいふんです。さうして釣られてね、「ハゼ合点のゆかぬ、」サ飛んだのんきでいゝでせう。
えゝ、此のごろでも草双紙は楽みにして居ります。それに京伝本なんぞも、父《おやぢ》や母のことで懐しい記念が多うございますから、淋しい時は枕許に置きますとね。若菜姫なんざ、アノ画の通りの姿で蜘蛛《くも》の術をつかふのが幻に見えますよ。演劇《しばゐ》を見て居るより余ツ程いゝ、笑つちやいけません、どうも纏らないお話で、嘸ぞ御聴苦しうございましたらう。
[#地から2字上げ](明治三十四年一月)
底本:「現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集」筑摩書房
1972(昭和47)年5月15日初版第1刷発行
1987(昭和62)年2月10日初版第13刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林徹
校正:本山智子
2001年5月1日公開
2005年11月23日修正
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