白く降り掛かつてゐるぢやないか。それが、先生が相變らず先生であることを證據立ててる……」得能はかう云ふと、詞を途切《とぎ》つて氣持よく澄んだ空を眺めた。
「細《こまか》い觀察だね。」と云ひながら、私も彼の視線の跡を追つた。
「所が、忌憚《きたん》なく云へば、その時それを見て、僕は骨董品の埃を何云ふとなく聯想した。」得能は再び私の方を振り向いて云つた。その潮燒けのした淺黒い顏に、皮肉な微笑が漂《ただよ》つた。
「骨董品の埃……」と、何氣なく私は呟いたが、その埃に埋もれかけてゐる先生の身を氣の毒に思ふよりも、寧ろ多くの人間のみじめさをシンボライズしてゐるやうな先生の姿が、一ツの irony として私の胸に迫つて來た。「然し、人間もああなりや立派な骨董品だね。そしてもう野心もなし、希望もなし、不平もなし、先生にとつて今程幸福な時はあるまい。」得能は私の沈默をよそにかう云つて、朗かに笑ひ出した。
[#地から1字上げ](大正八年四月「三田文學」)
底本:「現代日本文學全集 85 大正小説集」筑摩書房
1957(昭和32)年12月20日発行
入力:小林徹
校正:丹羽倫子
1999年6月24日公開
2006年1月10日修正
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