し鼻にかかつたねばり聲から、乾干《ひから》びきつた倫理の講義を授けられた。また小才子の英語の先生がゐた。生白い顏に、紅を塗つたやうな唇、そして張り物のやうにぴつたり分けた髮の毛。彼が小首を傾けて氣取りながら、生徒達の機嫌を窺《うかが》ふやうな眼附をして、にたりと笑ふ時、私達は蟲酸《むしづ》の走るやうな輕薄さを感じた。五萬圓の財産家たることを畢世《ひつせい》の理想としてゐた漢文の先生の憧憬。何かの式や遠足の時と云ふと軍服を着けて來て、日清日露役の從軍記章と、功六級の金鵄《きんし》勳章と、勳七等の青色桐葉章を得意氣にぶら下げた動物學の先生の稚氣、それ等は寧ろ氣持の好い先生達の愛嬌だつた。
私達は教頭を「つくね芋」と呼び、漢文の先生を「五萬圓」と呼んでゐた。これ等の多くの先生達の内、正確にその名を呼ばれてゐたのは既に學校を去られた歴史の杉山先生だけだつた。杉山先生の親しみ深い人格には仇名《あだな》を以て呼ぶ程の隙がなかつたからである。然し、私達が先生を仇名で呼ぶのは、必ずしも惡意や皮肉にばかり由來するのではなかつた。一體私達の感情から云へば、七尺去つて師の影を踏まずと云つたやうな儒教的道徳は、先生を餘《あまり》に冷たく嚴《いかめ》しくする inhumane な道徳であつた。先生を一個の偶像として遠くから崇敬するのは容易であるが、若々しい或る憧憬の絶間ない私達にとつて、それは餘に寂しいことであつた。私達は何處までも先生を温い懷しい人間として、近寄つて親しみたかつたのである。が、先生達は私達が親しめば親しまうとするだけ、自己の周圍に城壁を築いた。そして益々自己を偶像化さうとした。而《しか》も、時には偶像としての自己を壇上に置いて私達を冷《ひやや》かに見降さうとする矯飾的態度さへ現した。その態度を私達は冷笑したかつた。その城壁の隙間から見える先生達の固陋《ころう》さを碎いてしまひたかつた。
「つくね芋、五萬圓……」かう呼んでみる時、私達の心には期待を裏切られた腹いせの滿足と、偶像をこき降す小さな快感が潜んでゐた。同じ意味で、高橋順介先生は間もなく私達から「猫又」の仇名を奉られた。その仇名の由來はかうである。
丁度その頃、私達の使つてゐた國語讀本に「猫又」と云ふ小話が載つてゐた。
「猫又よ、やよ猫又よと申しければ……」と、先生はその中の一句を、田舍《ゐなか》訛《なま》りの可笑しな抑揚で高らかに讀み上げた。みんながどつと笑ひ崩れた。その可笑しさと、追ひ掛けられて逃げて行く猫又法師の姿を描いた文章の面白味と、先生の何處となく猫を思ひ出させるやうな風貌とが、その瞬間にひよいと結び着いた。私達は――猫又、猫又――と心の中に繰り返した。而も日が經つて行く内に、「猫又」の一語が表象するシニックな感じが、先生の人柄にぴつたり當《あ》て填《は》まるばかりでなく、それが巧に先生を諷し得てゐるやうな氣持がして來た。そして先生はたうとう「猫又さん」にされてしまつた。
――故に國語學は重要である――と、氣焔を擧げた先生は、時間の鐘が鳴ると、型の古い黒のモオニングに包んだ姿を機械的に教室へ運んで來た。そして何時も熱のない、退屈な講義を繰り返した。私達は先生の氣焔が餘に空言《そらごと》であつたのに、失望せずにはゐられなかつた。
或る時間に、先生は「方丈記」を講義された。丁度春の盛りの頃で、左手の窓の擦硝子《すりガラス》には自然の豐熟を唄ふやうな長閑《のどか》な日光が輝いてゐた。明るい教室の中にはもやもやした生暖い空氣が一杯に罩《こ》め渡つてゐた。半《なかば》開いた窓の隙間からは鮮かな新芽の緑が覗《のぞ》いて、カアテンの白をそよがす風もなかつた。ぢつと机に向つて腰掛けてゐると、けだるい先生の講義の聲が蜜蜂の翅音《はおと》のやうに聞えてくる。そしてともすれば肉の締りがほぐれて行くやうな氣持がして、快い睡魔が何時《いつ》となく體を包んで行くのである。片隅で誰かの幽かな鼾聲《いびきごゑ》が擽《くすぐ》るやうな音を立ててゐる。先生の講義は誰の耳にも這入つてゐなかつたらしい。
「あゝ、つまらん……」と、右後の席で上村が不意に呟いた。鹿兒島育ちの彼は、クラスの野次の音頭取《おんどとり》で、田舍丸出しの率直さがみんなに愛されてゐた。
「『朝に死し、夕べに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける……』と云ふのは……」先生の牛の涎《よだれ》のやうな講義の聲はぱつたり止んだ。そしてふと顏を上げると、嶮《けは》しい皺を眉間《みけん》に寄せて上村を睨んだ。
「おい上村、今何と云つた。もう一遍云つて見ろ……」先生の眼は鋭く光つた。
みんなは思はず顏を上げて、先生を見詰めた。
「『あゝ、つまらん……』と云うたですばい。」
上村は落ち着き拂つて云つた。みんなはわつと笑ひ出した。足擦りの音と机を叩く音が入り混つて聞えた。
「馬、馬、馬鹿つ……」先生は顏に蚯蚓《みみず》のやうな青筋を立てて、上村の席に近寄つた。
「教室を何と心得る。お前は、お前は……」
「お前とは何です。僕は學生ですぞ。」
「生意氣云ふな。お前のやうな奴はお前で澤山《たくさん》だ。」先生はせき込みながら續けた。「一體、つまらんとは何の云ひ草だ。」
「つまらんけんつまらんですたい。分らんですか、シエんシエい……」
上村はけろりとした顏附で答へた。いきり立つた先生と、糞落ち着きに落ち着いた上村とのコントラストはまるでポンチ繪だつた。
「お前は己《おれ》を馬鹿にするのか、その分では濟まされないぞ。さあ教室を出ろ、出て行けつ……」先生の顏は蒼白に變つて、唇は怒りの爲めにぶるぶる顫《ふる》へてゐた。上村は空嘯《そらうそぶ》いて脇を向いた。不愉快な沈默が教室中に流れた。
「先生、『方丈記』の講義を續けて下さい。」と、級長の谷がわざとらしく叫んだ。「さうだ、さうだ……」と、みんなはまたそれにわざとらしく雷同した。先生は憎惡に燃えた眼で上村を見返りながら、舌打ちした。そして靴音荒く教壇に歸つた。讀本が再び手に取られた。
「質問があります。」と、哲學者としてみんなの尊敬を集めてゐた武井が、Pensive な瞳を上げて立ち上つた。
「何だ……」先生は我を守るやうに身構へた。
「先生の今講義なさいました『方丈記』の中には長明の人生觀の面白味があります。それに對する先生の御意見が伺ひたいと思ひます。字句ばかりの解釋では、國語なんて無意味です。」理智的な鋭さを持つた武井の蒼白い顏が、赧《あか》らんだ。どよめいた部屋の空氣がふと鎭まつた。意外な質問を受けた先生の顏には、狼狽の色が幽かに現れた。
「そ、それはある。長明は厭世家だ、この世を悲觀したのだ。つまりその頃の天災地變の哀れさを見て……」先生は口籠《くちごも》りながら云つた。
「それは分つてゐます。」と、武井が遮《さへぎ》つた。「長明の思想は佛教の輪※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]説《りんねせつ》の影響を受けた厭世思想だと思ひます。彼は天災地變に苛《さいな》まれる人生の焦熱地獄に堪へられなくなつて、この假現の濁世《ぢよくせ》穢土《ゑど》から遁《のが》れようとしたのです。そして解脱《げだつ》しようとしたのです。然し『方丈記』に現れた處では長明の思想は不徹底です。のみならず、その厭世的態度には何となくわざとらしい、誇張されたやうな厭味《いやみ》があります。」武井の頭は何時も私達の世界を遠く先んじてゐた。私達が押川春浪の小説に熱中する時、彼は大西博士の「西洋哲學史」などを耽讀してゐた。彼が三年級の時、校友會雜誌に發表した「超人論」は私達には難解の文字だつたが、ニイチェの側面觀として杉山先生などの推稱を受けた。
「そんな事はどうでも好い……」先生は苦笑しながら、やや嘲《あざけ》るやうな態度でかう云つた。
「どうでも好くはありません、先生は私達に思想上の問題は無用だとおつしやるんですか。」と、武井は氣色《けしき》ばんで、鋭く迫つた。
「さうだ、さうだ……」と、みんなは譯もなく呟いた。そして部屋の中が再び煽動的氣分に卷き込まれようとした時、放課の鐘がさわやかに鳴り響いた。先生はみんなの冷嘲の囁きを背にして、遁《のが》れるやうに教室を出て行かれた。
互に楯《たて》を突き合ふやうな不愉快な時間が幾度か重《かさ》なつた。或る時は首藤に質問された「可《べ》かり可《べ》かる」の用法で、先生は一時間を苦しめられた。首藤は熱心な勉強家で國文法に特殊の興味と理解を持つてゐた。彼が細《こまか》く質問し始めると、先生は多くの場合無學さを曝露して答へることが出來なかつた。先生はその時もみじめな程の焦燥を見せて、何度か口籠つた。先生のねぢくれた感情が、首藤の質問を故意の時間潰しと思つたのは無理もない。そして仕舞ひには彼を口穢《くちぎたな》く罵《ののし》つた。
「何、分らん……これで分らんきやあ君は低能兒だ。」先生は本を教机に叩き着けて、劇《はげ》しく呶鳴《どな》つた。温良な首藤も流石《さすが》に興奮の色を見せて、激越な調子で先生に食つて掛かつた。先生の態度の邪慳《じやけん》さがみんなの反抗心を強めた。
春は何時《いつ》しか更《ふ》けて行つた。學校に隣つたT公園の杉林がその緑を日に増し深めて行くと共に、校庭の土の上に落ちる日の光が夏の近いのを思はせるやうに、ぎらぎらと輝き出した。そして化學教室の裏手の樹蔭が、帽子に白の覆ひを被《かぶ》せ始めた生徒達の好んで休む集合所となる頃には、猫又先生に對するみんなの不滿が次第に高潮して來た。先生の詞訛りの可笑しさに先づ敬意の幾分かを傷つけられた私達は、退屈な講義に倦怠を覺え、絶えず grimace の浮んだ顏附に不快な壓迫を感じた。その倦怠と不快な壓迫を遁れようとして盛に働いたみんなの惡戲性は、やがて疲れて來た。先生をからかつて苛立《いらだ》たせて得られる意地惡な面白味は、漸く薄れて行つた。そしてもつと現實的な飽き足りなさが、先生に對して感じられて來た。
「あんな先生に教はるのは損だ。」と、或る時首藤が云つた。「文法の一句が説明しきれないなんて、そんな馬鹿馬鹿しい教師があるもんか。」
「よつぽど頭が惡いな。」
「惡いとも、もう好い加減腦味噌が腐つちやつてらあ。」と、松川が云つた。
「然し、國語だつてしつかりやつとかなきやあ後悔するぜ。何處の入學試驗にだつて國語はあるからな。」と、一人が云つた。
「さうさ、馬鹿に出來るもんか。」と、級長の谷が云ひながら、足下の小石を蹴飛ばした。
「一體學問だつて、三年の時の大石さんの方がずつとあつたぜ。」と、また首藤が云つた。彼は先生の無學さを一番失望してゐた。
「あつたとも、まだあの人の方がましだつた。」
「だがね、學問があつたつてなくつたつて、あんな態度で教へられちやあ、不愉快で堪らないぢやないか。」と、私は反抗的な氣持で云つた。
「排斥しちやへ……」と、突然武井が叫んだ。行き着く處をそれとなく豫想してゐたみんなは、はつと思つて武井を振り返つた。そして何云ふとなく口を噤《つぐ》んでしまつた。
みんなの心の底を割つてみれば、先生に對して不滿や反感があつたにしても、流石《さすが》に排斥と云つたやうな強い詞を出すのは何となく憚《はばか》られた。殊にみんなは先生の人の好さ眞正直さを十分認めてゐた。認めてゐるだけに、今まで自分達が先生に對して取つて來た態度が、幾らかうしろめたい心持で省《かへりみ》られた。何故ならば、自分達の團結力を頼みにして、故意に先生の神經を苛立たせ、無理に先生の講義を分らない物にしてしまふやうな意地惡さがなかつたとは云へないから……、そしてもう少し柔かく靜かに迎へたならば、先生の氣持をあれ程までに擾亂《ぜうらん》させなかつたに違ひないから……。然し、各自は密《ひそ》かにさう思つてゐたにしても、クラス全體に行き亘《わた》つてゐる群衆心理はそれを容易《たやす》く征服した。そして或る一點へ進まうとする根強い力が既に兆《きざ》してゐるのをみんなは意識してゐた。その力に反抗する事はこの場合不可能であり、またそれを一人で裏切る事が何
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