たやうにはつと息を引いたが、再び「何故返事をしない……」と呼ばはつた時、その顏色は蒼白く變つて、聲の餘韻が幽かに顫《ふる》へた。一人も答へなかつた。片唾《かたづ》を呑んだやうな教室の沈默は、先生の額の靜脈に注入してくる血液の流れを聞き分けられさうに澄みきつてゐた。
「何故返事をしない……」先生は殆ど發作的に立ち上つて、恐怖を包んだやうな表情を浮べながら、三度叫んだ。一人も答へなかつた。先生の顏には見る見る内に劇しい困惑の色が漲つた。そして捨鉢《すてばち》な舌鼓《したつづみ》の音が聞えたかと思ふと、黒板を背にして呆然と、まるで影法師か何かのやうに立ちすくんでしまつた。
緊張した沈默が一分二分と過ぎて行つた。みんなは各自の胸から胸へ流れてゐる結合した心持の勝利を密かに感じながら、冷かに先生の姿を見詰めてゐた。
「一體君達は私をどうしようと云ふのだ。」先生は土氣色になつた顏を上げて云つた。
「君達は私に不平でもあるのか。」先生はまた云つた。その絞り出るやうな顫へ聲は、何時《いつ》か歎願的に變つてゐた。
二三分が空《むな》しく流れた。しめやかに降り灑《そそ》いでゐた戸外の雨の音が、彈《はじ》くやうに私の鼓膜に響いて來た。
クラスを代表して先生に宣言すべく期待されてゐた谷も武井も、ぢつと默り込んでゐた。いざとなるとやつぱり云へないんだ――私はかう思つて失望した。そのみんなの不甲斐なさに苛立つ感情と、途方に暮れた先生の姿を見てゐるもどかしさが、次第に私の胸の内に湧いて來た。そして徒《いたづら》に續いて行く沈默に焦燥する心持が、抑へても抑へきれぬ程私をじりじりさせた。唇の不隨意筋が自ら戰《をのの》き出すやうな、眼の血管にかつと血が押し寄せてくるやうな、鳩尾《みぞおち》が引き締められるやうな、さうした感情の興奮が私の全身に働いた。立ち上つて、みんなに先んじて、クラスの爲に勇敢に宣言する――さう思ふと、自分が非凡な勇者であるやうな氣持がして來た。
「何故默つてゐる……」先生は再び劇しい怒の色を見せて呶鳴つた。
「先生……」かう叫んで立ち上つた時、私はくらくらするやうな興奮に捉はれてゐた。が、その瞬間にもみんなの驚異の視線が一齊に自分に集中した事を、はつきり意識した。
「先生、私達は先生に不滿があるんです。」激越な態度で私は云つた。みんなは私の周圍から呻《うめ》くやうな呟きを上げ
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