る。つまり人間のあり來《きた》りの心的葛籐《かつとう》や、因果關係の紛糾に、ピストルだの短刀だのと單純に含ませた古い型の探偵小説では、一面に科學知識の可成《かな》り深くなつてゐる私達には物足りない。で、云《い》ふ處《ところ》の犯罪や祕密や不思議が犯人の科學知識の深さの中に複雜にされると同時に、探偵もそれに敵對出來るやうな科學的素養を以てすると云《い》つたやうなのが、私達には面白いのである。で、今後の探偵小説の作家は精神科學と實際科學との兩面にわたつて相當の研究と理解とを持たなければならないとも云《い》へるであらう。
こないだ雜誌だか新聞だかでひよいと讀んだ話であるが、佛蘭西《フランス》のある市のある家の一室である朝中年の紳士がピストルで顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6、270−下−19]を貫かれて死んでゐた。紳士から二三間離れた小卓には發射されたままの一丁のピストルがのせてあつた。綿密に嚴重に調べてみたが、犯人が外から室に入りこんだ樣子もなく、他殺の形跡は全然ない。そして、そのピストルは紳士の自用の物だつたが、明に自殺でもなく、また自殺すべき原因も絶對になかつた。そして、事件は型の如く迷宮に入りかけた。一人の探偵があつた。彼は實際科學の知識に明るかつた。ある朝、後日の證據《しようこ》のために事件突發の日のままになつてゐたその室にはひつてみた。窓から明るい光線が差し込んでゐた。その光線の落ちた處《ところ》には、水を盛つた硝子器があつた。そしてその水面に落ちた光線の反射はちようどピストルの載せてあつた小卓の上に強い焦點《せうてん》を印《いん》してゐた。事件は解決されたのである。つまり紳士は自用のピストルを前夜何氣なくその小卓の上に置いて、その朝その銃口から飛び出る彈丸の射程直線上の椅子に腰かけて新聞を讀んでゐたのである。光線の強い焦點《せうてん》はピストルの裝彈篋《さうだんきやう》を熱した。そして、自働的に彈丸は發射された。紳士は實に微妙な偶然と偶然の吻合《ふんがふ》の中で、實に不幸な死を遂げたのであつた。
この不思議な事件の犯人は何者だらう? それは私達が體《からだ》にあびて時に雀躍《じやくやく》する處《ところ》の、あの美しい太陽の光線ではないか? 光線を捕縛する探偵! 若い讀者諸君よ、この材料に依つて何か面白い探偵小説を作つてみては如何《いかゞ》?
[#地より2字上げ]――十三年五月――
底本・初出:「新青年 第五巻第十號 夏季増刊『探偵小説傑作集』」博文館
1924(大正13)年
※底本のコピーは、推理小説研究家の山前譲氏にご提供頂きました。
※底本は総ルビでしたが、「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、振り仮名の一部を省きました。
入力:小林 徹
校正:林 幸雄
2002年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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