つたやうな好奇の念も湧かずにはゐなかつた。何れにしても彼等は私達の眼から見れば、或る特殊な世界に或る特殊な生活を營んでゐる人達である。嚴格な戒律の下に、一身を祈祷と沈默と勞働とに捧げて、あらゆる衆愚と凡俗の世を離れた靜かな修道院の中に自分の一生を過すと云ふこと――それは少くとも一つの奇蹟とも云ふべき生活である。
「それが果して人間としてほんたうの生活なのであらうか。」と、私は密かに疑つた。
「神の爲めに、ただひたすらに神の爲めに……」と、私は心の中で繰り返した。
「若しそれがほんたうの生活であるならば、少くとも私も考へてみなければならないのだ。」と、私はまた思つた。
彼等は人から離れてゐる。あらゆる人間的の世界から隱遁してゐる。歡樂を知らない。美食を思はない。そして絶對に性の欲求を斥《しりぞ》けてゐる。のみならず神に對して祈る聲は持つてゐても、人に對しては聲を鎖してゐる。人は靈のみに生く――それを彼等は堅き信條としてあらゆる手段で自分の肉體を虐げてゐる。
「それほど人間の肉體は醜いものだらうか。それ程苛責しなければならない肉體だらうか。それならば何故彼等は自殺しないのだらうか。」それは次に起るべき疑ひであつた。
然し行爲の上から云へば、彼等の生活は眞に徹底した生活のやうに思はれる。主義と實行との完全な一致がある。その飽くまでも靈の世界の永遠を信ずるの強きに於て、また絶え間なき祈祷と瞑想によつて精神生活を充實せしめ、怠りなき勞働によつて肉體を鞭打ちつつ妄執と欲望と邪念から解脱せんとする努力に於て、私は尊ぶべきものあるを思ふことが出來る。
「そして自分は……」と、私は省みた。
私は自分の心の不安と、生活の動搖とを思はないではゐられなかつた。其處には自分に反き人を裏切るあらゆる虚僞があつた。淺ましい野心と嫉妬と猜疑とがあつた。また其處には病み疲れた不健康な、醜い欲望に穢されきつた肉體があつた。そして彼等と自分とを隔ててゐる或る物を考へた時、私は息詰るやうな氣がした。今自分の前に展けようとしてゐる一つの世界、それは或る恐怖に似た感情を私の胸に呼び起した。
私は思はずまた我に返つて、不安な視線を海の上に投げた。
船は防波堤を掠めて、油を流したやうな穩かな海にうねりを殘しながら進んでゐた。船と船とが行き合ふと、緩かな汽笛が響いて、よどんだ水がうねりとうねりの間でせせ笑ふやうに白い泡沫《しぶき》を立てたりした。
灣は次第に海峽に開いて、靄にかすんでゐた、向う岸の當別の岬が漸くはつきり見え出した。少し崖が崩れて、赤土の覗いてゐるあたりから、くすんだ色の低い灌木の生えた丘が遠く續いてゐる。その海峽を向いた岬の端に燈臺の建物が、ほの白く浮いてゐる。すべてが單調で薄暗いやうなそのあたりの景色が私を倦きさせた。
氣が附くと船客の人達も皆默つてしまつて、立つたのも坐つたのも腰掛けたのも氣の拔けたやうな顏をして海面を眺めてゐる。機關の響が鈍いリズムを打つのが聞えて來た。長い長い航海を續けてゐるやうな頽廢の氣持が其處に漂つてゐた。
私は空を見上げた。
鈍色の雲に少し明るみが差して、うすれ日が幽かに洩れて來た。そして海峽の波がその明るみを映して銀色に光り始めた。ぢつと見詰めてゐると、それが遠くなつたり近くなつたりする。雲が少しづつ動いて行くのである。
「あの陰ですよ。ほら、建物の端が見えるでせう。」と、Kさんが私の側に近寄つて來て、岬の上を指差した。大きな赤煉瓦の建物が岬に續く高い丘の斜面に見えた。それは周圍の景色と餘に不調和に目立つてゐた。
灣の口を横切つて船は當別岬に近づいた。物寂しい漁村がその陰に見えた。
「あの道を行くんですね。」船から小さな棧橋に飛び降ると、二人はかう頷き合ひながら左へ折れて、磯傳ひの道を歩き始めた。一面に干した烏賊の匂ひがひどく鼻をついた。
だんだんに空が明るくなり出した。そして地面に薄い影が出來る程の日光が洩れて來た。朝から風もない程沈んだ日は、幽かな日光を受けてぢつと身動きもしないやうに默してゐた。その單調に鎖した空氣の中に二人の靴音が高く聞えた。そして詞も途切れ勝ちになつて、二人は俯いたまま足早に歩いた。
道は崖際を海となぞへに通つてゐた。新しい木橋を渡ると、道は二つに分れてゐた。
「どつちでも行かれますけ……」と、Kさんに尋ねられた老婆はにべもなく答へて、すたすたと歩いて行つた。
「こつちから行つてみませう。」と、二人は云ひながら、崖に沿うた少し急な狹い道を登つた。村の人家や、海がだんだんに眼の下に見えて來た。
「好い景色ですね。」と、云ひながら、私は少し喘ぎ喘ぎ登つた。健脚らしいKさんは杖を振りながら元氣好く登つた。彼は全く好い體格の人であつた。登りつめると其處は一面の原で、道からも時時見えた修
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