に耽つてゐた。彼は重たげに顏を擧げて、私達の姿に Pensive な瞳を投げた。そして、幽かに禮に答へると、また靜かに眼を頁《ペイジ》の上に落した。また一人の異國の修道士は僧衣を引き摺りながら、足音もなく這入つて來た。彼は聖像の前に嚴かに十字を切ると、金色の燭臺を降して、それを兩手に支へたまま、人無きが如くに私達の眼の前を去つて行つた。
「何と云ふ人達だらう……」と、私は思つた。
 彼等の顏には少しの表情の動きも現れなかつた。その態度には冷たさを感じるまでの落ち著きがあつた。そして、その姿には何等の人としての親しみを感じさせるものがなかつた。若し彼等が動かなかつたならば彫像のやうに見えたかも知れない。私は明かに自分が特殊の世界の中に立つてゐることを意識した。彼等と自分との間には大きな淵がある。淵を越えて彼岸に達しなければ、私には彼等の眞が分らない。また彼等に親しみが感じられない。然し、この淵を越える爲めには私は自分の人間性を失つてしまはなければならないのではあるまいかと思つた。少くとも自分の眞底から流れて、すべての人を愛しすべての人に親しみたいと云ふ感情を拒否してしまはなければならないのだ。それは私には出來ない。
「あれが彼等の云ふ全き人[#「全き人」に傍点]なのであらうか。」と、私はまた密かに疑つた。
 私達は廣やかな長い廊下に出た。高い窓から柔かな乳色の光線が流れて、あたりは明るく密やかであつた。そして小さな咳をしてもまた朗かな反響が自分の耳に歸つて來た。
 窓際の壁には磔刑前後の基督の事蹟が版畫になつて掛けられてゐた。鞭打たれつつ躓きつつ引かれて行く基督の姿は餘に痛ましく、餘に凄慘であつた。
「修道院の生は苦しく死は安し。」「人は瞑想によつてのみ信仰の道に達す。」私はさうした戒律の幾つかを反對の壁に仰いだ。
 幾人かの修道士は時時靜かに廊下を往き來した。彼等の多くは若い日本人であつた。私達が頭を下げると、彼等は默したまま頭をさげた。然し私は自分と同胞の修道士の人達の顏が著しく蒼白く憔悴してゐるのを見た時、また其處に云ひ知れぬ寂しさと惱みの影を見た時、私の胸は怪しく悲しみを覺え、同時に或る驚きを感じた。私は祈祷室に於ける第一の感じを裏切られたのである。そして殉教と云ふ貴い犧牲の心の陰がふと私の頭の中を掠めて行つた。
「彼等もやがてあの異國の修道士のやうな冷たい彫
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