眺めてゐた。が、その刹那に、思はず口の中に湧いたさうした呟きと共に、私は一そう好奇的にされた視線を女の横向き姿に注ぎかけた。
「細君か知ら?」
私はさうも思つてみた。が、それにしても、蓮葉《コケツト》な表情、ごてごてした品のない身なり、變に肉感的《センジユアル》な姿體には人妻らしい一種の落ち着いた感じは見えなかつた。妾――さうも見られた。が、さうとすればそれは金のかかつた癖に下品な西洋人好みのけばけばしい着附、厚かましい物ごしを想像させる洋妾《ラシヤメン》に違ひなかつた。無論、藝者の感じではなかつた。それかと云つて女優らしい處も見えなかつた。
「女相場師……」
暫くして、私の想像は其處に落ち着いた。そして、株屋町か米屋町あたりを眼を血走らせながら駈け廻つてゐる女の姿を思ひ描いて、私は反撥的にほくそ笑んだ。女はやがて鹽瀬らしい敷島入れから一本を取り出して、悠悠と紫烟をふかせ始めた。車内の人達の視線が吸はれたやうに、その姿の上に集まつたのは云ふまでもない。わけても女と向ひ合せに腰掛けてゐた政黨屋らしい三人の紳士は選擧の應援演説の歸りかとも思れる今までの騒がしい雜談の口をぴつたりと噤んで、氣を呑まれたやうな、同時に色好みらしい卑しげな眼を女に注いでゐた。
プラツトホオムのざはめき[#「ざはめき」に傍点]もよそに車室の中は變に暫く鎭まり返つてしまつた。
七分の停車時間が過ぎて發車間近い頃だつた。鼠色のインバネスを羽織つた商人風の、頬骨の尖がつた若い男があわただしく車室へはいつて來た。そして、これも探るやうな視線でぐるつと中を見廻すと、三人の紳士の隣側の空席に無遠慮に腰を降した。それと同時だつた。窓外に呼子が鳴り響いてぎしりと車輪の音をきしらせながら、汽車は靜にゆるぎ出した。
「横にならうかな……」
さう考へながら、私は鞄から空氣枕を取り出した。そして、息を入れながら、明滅する京都の町の燈灯を窓越しにぼんやり眺めてゐた。
九州への旅の歸りだつた。前夜神戸の友達の家に泊つて久振に一日を話し暮した私は、それから二時間程前に東京行のその汽車に乘り込んだのであつた。丁度朝からしとしととした五月雨、それが一人旅の侘びしさを一しほ誘ふ。四週間近くの旅のあと、私は東京へ歸りたい心一杯であつた。
「どうでせう、新潟の方の模樣は? ――大分足立が撚をかけてるらしいですが……
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