三作家に就ての感想
南部修太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)讀《よ》んで
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一歩|進《すゝ》めて
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]
/\:踊り字
(例)いろ/\な
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一、有島武郎氏
私は有島武郎[#「有島武郎」に丸傍点]さんの作品を讀《よ》んで、作品のうちに滲《にじ》んでゐる作者の心の世界《せかい》といふものゝ大きさや、強さといふものを深く感《かん》じます。そして、線の非常《ひじやう》に太い、高らかなリズムをもつてゐるやうな表現力《へうげんりよく》が鋭く心に迫つて來るやうな氣《き》がします。そして、如何にも作者が熱情的《ねつじやうてき》で、直情徑行的《ちよくじやうけいかうてき》な人であるやうな氣持がしますけれども、最う一歩|進《すゝ》めて、作品《さくひん》の底《そこ》を味つてゐると、寧ろ作者《さくしや》の理智《りち》といふものがその裡《うち》に一層強く働《はたら》いて居るやうな氣がします。即ち或|作品《さくひん》では、例へば、「石にひしがれたる雜草[#「石にひしがれたる雜草」に白三角傍点]」と云つたやうな作品では、主人公の心持の限界《げんかい》を越《こ》えて、作者の理智《りち》がお芝居《しばゐ》をし過《す》ぎて居る爲めに、その心持がどうしても頷《うなづ》けなくなつて來る。で、また作者《さくしや》が愛を熱心《ねつしん》に宣傳《せんでん》して居るやうな場合《ばあひ》にでも、寧ろその理智《りち》を以て故《ことさ》らにそれを力説《りきせつ》しようとする爲めに、どうかするとその愛は、作者《さくしや》の心から滲《にじ》み出たものではなくて、宣傳《せんでん》の爲めに宣傳《せんでん》してゐると云つたやうな感《かん》じがする事があります。しかし、又一方から見ると作者《さくしや》の愛《あい》が實際《じつさい》にその衷心《ちうしん》から滲《にじ》み出てゐる例へば「小さき者へ[#「小さき者へ」に白三角傍点]」の中に於ける、子供に對する主人公の愛《あい》といつたやうな場合には、そこに釀《かも》されてゐる實感《じつかん》の強さから、可成り感動《かんどう》して作品《さくひん》を讀む事が出來《でき》ます。で、一體私は有島[#「有島」に丸傍点]氏のその作品|竝《ならび》に作者《さくしや》の心の世界《せかい》に對して共鳴《きようめい》も有《も》ち、その眞摯《しんし》な作風《さくふう》に對して頭《あたま》を下げてゐる者ですが、時に人が、有島[#「有島」に丸傍点]氏は僞善者《ぎぜんしや》ではないか、非常にその創作的態度《さうさくてきたいど》に於て、進撃的《アグレシイヴ》で、意志《いし》の強《つよ》さうなところがあり乍ら、どつか臆病《おくびやう》なところがあるではないかといつたやうな言葉《ことば》を聞かされた事があります。これは無論《むろん》作者《さくしや》に對する一|種《しゆ》の僻見《へきけん》かも知れませんが、事實《じじつ》に於ては、私も氏の作品《さくひん》に強く心を惹《ひ》かれ乍らも、どこかにまだ心持《こゝろもち》にぴつたり來ない點がないではありません。その隙間《すきま》は氏が熱情的《ねつじやうてき》な理想家《りさうか》のやうに見え乍ら、その底に於ては理智が[#「理智が」は底本では「理智か」]働《はたら》[#ルビの「はたら」は底本では「はだら」]き過ぎるといふ結果《けつくわ》から、周圍《しうゐ》に對してどうしても左顧右眄《さこうべん》せずには居られないといふところがあるかも知れません。從《したが》つてその思想《しさう》や人生觀《じんせいくわん》の凡てを愛を以て裏づけて行かうとする氏の作家《さくか》としての今後《こんご》は、どんな轉換《てんくわん》を見せて行くかも知れませんが、その理智の人としての弱點《じやくてん》から釀《かも》されて來る何物かは、可成り氏の行手にいろ/\な曲折《きよくせつ》を出すだらうと思はれます。
二、里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]氏
里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22][#「里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]」に丸傍点]さんの作品を讀んで、一番|感心《かんしん》するのは、その心理解剖《しんりかいばう》の手腕《しゆわん》です。批評家《ひひやうか》がそれを巧《うま》すぎると云つた爲めに、氏は巧すぎるといふ事が何故《なぜ》いけないのだと云つたやうな駁論《ばくろん》を書いて居られましたが、確《たし》かに巧すぎるといふ事丈けは否定《ひてい》出來ないと思ひます。何故ならば、氏の心理解剖《しんりかいばう》は何處《どこ》までも心理解剖で、人間の心持を丁度《ちやうど》鋭《するど》い銀《ぎん》の解剖刀《かいばうたう》で切開いて行くやうに、緻密《ちみつ》に描《ゑが》いて行かれます。そして、讀《よ》んでゐると、その冴《さ》えた力に驚《おどろ》き、亦|引摺《ひきず》られても行きますが、さて頁を伏せて見て、ひよいと今|作者《さくしや》に依つて描《ゑが》かれた人物の心理《しんり》を考へて見ると、人物の心理の線《せん》や筋《すぢ》丈《だ》けは極《きは》めて鮮《あざや》かに、巧みに表現されて居ますが、それを包む肝腎《かんじん》の人間の心持《こゝろもち》の色合《ニユアンス》や、味ひが缺《か》けて居ます。必然《ひつぜん》にどうしてもその心理《しんり》の動《うご》き方が、讀《よ》む者の心持《こゝろもち》にしつくり篏《はま》つて來ないといふ氣《き》がします。これを言ひ換《か》へれば、氏の心理描寫《しんりべうしや》は心理解剖《しんりかいばう》であつて、心理描寫《しんりべうしや》ではないのでありますまいか。兎に角今の多數の作家《さくか》の中で、頭の鋭《するど》さといふ點では、恐らく里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22][#「里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]」に丸傍点]氏は第一人者といふべきでせう。そして、その文章《ぶんしやう》も如何にもすつきりと垢脱《あかぬ》けがして居て、讀んで居ては、實に氣持《きもち》の好《い》いものですが、特《とく》に氏の長所である心理描寫《しんりべうしや》といふ點に就て云へば、そこに最う少し人間的《ヒユウメエン》なものが欲《ほ》しいと思ひます。言ひ換へれば、氏は餘《あま》り巧《うま》すぎて、人間の本當の心理《しんり》の境を越えて飛躍《ひやく》しすぎるのでせう。
三、志賀直哉氏
作者の素質《テンペラメント》の尊さといふものを最《もつと》もよく感じるのは、志賀直哉[#「志賀直哉」に丸傍点]氏です。一體私は「留女[#「留女」に白三角傍点]」以來氏の作品を、今のどの作家の作品よりも好きなのですが、中でも「夜の光[#「夜の光」に白三角傍点]」の中に收められてゐる「正義派[#「正義派」に白三角傍点]」「出來事[#「出來事」に白三角傍点]」「范の犯罪[#「范の犯罪」に白三角傍点]」「清兵衞と瓢箪[#「清兵衞と瓢箪」に白三角傍点]」特に「和解[#「和解」に白三角傍点]」には最も感嘆《かんたん》させられました。恐らく洗煉琢磨《せんれんたくま》され、その表現の一々がテエマに對《たい》して少しの無駄《むだ》も、少しの弛《ゆる》みもなく、簡潔緊張《かんけつきんちやう》を極《きは》めてゐる點《てん》に於て、志賀[#「志賀」に丸傍点]氏の作品程《さくひんほど》なのはありません。この頃の冗漫弛緩《じようまんちくわん》の筆を徒らに伸《の》ばしたやうな、所謂《いはゆる》勞作《らうさく》を見れば見る程、その一字一句も苟《いやしく》しない氏の創作的態度《さうさくてきたいど》に頭が下らずには居られません。氏の人生を見る眼《め》は直《たゞ》ちにその底に横はつてゐる眞髓《しんずゐ》を捉《とら》へてしまひます。そして、それを最《もつと》も充實《じうじゆつ》[#ルビの「じうじゆつ」はママ]した意味の短かさを以て表現《へうげん》します。そして茲にこそ氏の作家《さくか》として天稟《てんびん》の素質《そしつ》の尊さがあるのでせう。恐らくこの點に就《つい》ては各人に異論《いろん》のない事と思ひます。ところが「和解[#「和解」に白三角傍点]」丈けは、氏としては珍らしい程の長篇《ちやうへん》であり、亦、構圖《こうづ》や表現《へうげん》の點に多少の難《なん》がある爲めに、それに就ていろ/\の議論《ぎろん》を聞きました。私はよく友人の井汲[#「井汲」に丸傍点]や小島[#「小島」に丸傍点]と、それ/″\の作家《さくか》に就て度毎《たびごと》に議論をし合ひますが、三人の意見が、例へば前に擧げた四つの作では完全《くわんぜん》に一|致《ち》して居ながら「和解[#「和解」に白三角傍点]」に於ては全く違《ちが》つてゐて、今でもまだ議論《ぎろん》をし合ひます。私が「和解[#「和解」に白三角傍点]」を非常《ひじやう》に傑れた作品《さくひん》だと主張するに反して、井汲[#「井汲」に丸傍点]や小島[#「小島」に丸傍点]は「和解[#「和解」に白三角傍点]」を餘り感心《かんしん》してゐないのです。即ち二人は、この作の表現形式《へうげんけいしき》や構圖《こうづ》[#ルビの「こうづ」は底本では「こづう」]の不統一な事を擧《あ》げて、作のテエマの效果《エフエクト》が薄《うす》いと云ひ、私は作の構圖《こうづ》や形式《けいしき》に對する缺點《けつてん》を蔽《おほ》[#ルビの「おほ」は底本では「お」]ふ丈けに、作の内容が深《ふか》い爲《た》めに、この作の有《も》つ尊《たふと》さを主張《しゆちやう》して止まなかつたのです。こゝらにも各人が作の價値《かち》を批判《ひはん》する心持の相違《さうゐ》があると見えますが、「和解[#「和解」に白三角傍点]」に描《ゑが》かれてゐる作のテエマ、即ち父と子の痛《いた》ましい心の爭鬪《さうとう》に對して働《はたら》いてゐる作者の實感《じつかん》[#ルビの「じつかん」は底本では「じんかん」]、主人公の心の苦悶《くもん》に對する作者の感情輸入《アインヒウルング》の深《ふか》さは、張り切つた弦《ゆづる》のやうに緊張《きんぢやう》[#ルビの「きんぢやう」はママ]した表現《へうげん》と相俟つて、作の缺點《けつてん》を感《かん》じる前に、それに對して感嘆《かんたん》してしまひます。その父《ちゝ》と子の心と心とが歔欷《きよき》の中にぴつたり抱き合ふ瞬間《しゆんかん》の作者《さくしや》の筆には、恐ろしい程|眞實《しんじつ》な愛《あい》の發露《はつろ》を鋭《するど》く描《ゑが》き出してゐるではありませんか。かうなつて來ると、一體私は内容《ないよう》の方に心を惹《ひ》かれるものですが、とても形式方面の缺點《けつてん》や非難《ひなん》を顧《かへり》みる暇はありません。その描《ゑが》かれてゐる事に對して、作の大きな尊《たふと》さを感《かん》じて了ふのです。無論|作品《さくひん》といふものに、表現形式《へうげんけいしき》の完全《くわんぜん》といふ事は必要《ひつえう》な事ですが、表現の如何《いかん》を問はず、作者《さくしや》がかういふ意味《いみ》に眞實《しんじつ》を捉へて、それを適確《てきかく》に現はし得てゐるとすれば、そこに最う深《ふか》い作の意味《いみ》があるのではありますまいか。私は又氏の「流行感冒と石[#「流行感冒と石」に白三角傍点]」といふ作品《さくひん》を讀んで、氏が日常生活《にちじやうせいくわつ》の出來事から、如何《いか》に深く人生の眞實《しんじつ》を捉へ得てゐるかといふ事を、しみ/″\感じずには居られませんでした。
底本:「文章倶樂部」新潮社
1920(大正9)年3月1日発行
入力:小林 徹
校正:鈴木厚司
2007年11月19日
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