んその人を見たのは、その二月ほど前に牛込の藝術座の廊下で遠見に姿を見たのが初めてでまた最後で、無論何の面識も持たない人だつたのである。で、その高熱往來の夢うつつの境に母か妹かに抱月さんが死んだと云ふ事を聞かされでもしたのが一つの暗示になつたのかも知れないが、とにかく夜半だつたやうに記憶する。突然障子があいたやうな氣がしたかと思ふと紋着羽織に袴をつけた抱月さんが、例の朝鮮髭をはやした頬のこけた、思索家的な奧深い光を持つ細い眼をした顏を靜かにその間から現して、どう云ふ譯だか何の詞もなく、蒲團の袖に鼾つくやうにして丁寧に頭をさげた。部屋には母も妹もゐなかつたやうに思ふ。私は何となくひやりとして、もう一度見直すやうに振り返つたが、もうその時は何の影も見えなかつた。その二三日前に死んだと云ふ事實があつたにしても、私にとつては全く縁もゆかりもなかつた抱月さんが、どうして私のそんな幻覺になつたのか今以て判斷がつかない。とにかく變てこな經驗の一つだ。
一度はこれも十七の歳に重症の腸チブスにかかつて、赤坂の今は順天堂分院になつてゐる共愛病院と云ふのにはひつて、この時も九死に一生を得たのであつたが、同じ
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