てしまつた。
「どうした? な、何が見えたんだ」
 近寄りざまにロフベルグはカアルソンの肩を劇しく搖す振つた。
「た、大變だ。ゼッテルベルグさんが竈の脇の血溜りに倒れてる‥‥」
 顏青ざめ、がたがた顫へながら、カアルソンは息詰まるやうな聲で叫んだ。
「そして、そして、料理臺の上にやア頭をぐしやぐしやに割られた女が突つ伏してる。ち、畜生つ、猫の野郎め、その脇に突つ立つて己をぢつと睨みつけやがつたよ。」

    慘劇の現場
 夜の十時、グスタフソン警視がストックホルム警察廳の自室で煙草をふかしてゐると、あわただしくはいつて來たのは主任警部のソオルで、いきなり呶鳴りつけるやうに、
「ただ今モルトナス島の派出所からえらい事件を報告して來ました。ゼッテルベルグと申す老人夫婦とその義理の妹にあたるヘドストロムといふ細君が殺害されたさうです。グスタフスブルグ署のジヨンソン署長とベルントソン醫師は現場の別莊へ急行したと言ひますが、わたしもこれからすぐ出掛けようと思ひます。」
 首も埋まりさうな厚ぼつたい外套の釦をせかせかとはめながら、ソオルは言つた。
「宜しい。無論、僕も一緒に行かう。とにかく現在までに君が聞き込んだ委細のことを話してくれ給へ。」
 落ち着いた樣子でさう言ふと、ソオルの話を聞きながらも一方上役のゼッテルクイスト刑事部長を電話口へ呼び出して、グスタフソンは事件の概略を報告しこれから現場へ出掛ける由を傳へた。
 數分の後、ソオルとグスタフソンを乘せた警察自動車は現場へ疾走してゐた。
「さうだ。ゼッテルベルグといふ老人のことを今はつきり思ひ出したよ。」
 と、グスタフソンは深々と座席に埋めた大きな體を重たさうに動かしながら、
「どうも聞き覺えのある名前だと思つて今まで頭をひねつてゐたんだが、そいつは金貸し兼仲買人のやがて七十になる爺さんだよ。夫婦とも相當工面のいい譯だが、をかしいのはこの冬何だつてあんな寒い島で暮してゐるかといふことさ。」
「なるほど。ですが、わたしにはまるで覺えのない人物ですな。」
 二人が現場へ着いた頃は夜も可成り更けてゐたが、澤山の島人達が寒さにもめげずに別莊のまはりに集つて、今は電燈の光り輝く窓窓に好奇の眼を注いでゐた。ソオルが扉を叩くと、ジョンソン署長が迎へ出て來て、
「さア、どうぞ。いやはや、全くもう身の毛のよだつやうな有樣でございますて‥‥」
 二人はすぐに階下の應接間へはいつて行つたが、寒々とした部屋ながらそこは家具一つ亂れてはゐなかつた。すべては階上での出來事で、更に署長の案内で階段を昇ると、ひどく天井の低い廊下へ導かれたが、そこの一隅の小卓の上には電話器が置いてあつて、その傍には銀貨が一つ光つてゐた。そして、天井と壁の所々には黒ずんだ血痕が幾つか縞を作つてゐた。
「こちらがその臺所で‥‥」
 と、ジョンソンは奧の方へ進んで行つた。
 無殘な修羅場だつた。フリツツ・ゼツテルベルグは毛布の帽子をかぶり毛皮の靴をはいたまま仰向きになつて血溜りの中に倒れてゐた。その兩手は恐ろしい運命に悲しく服從するかのやうに、掌を上に向けて體の兩側に投げ出されてゐた。また老人の義理の妹にあたるクリスチナ・ヘドストロムはうつ伏せになり、兩手をだらりと垂れたまま料理臺の上に横たはつてゐた。そして、その傍には一人の男が體をかがめて、打ち碎かれた顏の模樣をしきりに調べてゐた。
「醫師のベルントソン君です。」
 ジョンソンはその男を二人に紹介した。
 グスタフソン警視は會釋しながら、
「二人とも前頭部を割られとるやうだね。死後およそどのくらゐになるかな?」
「さやうですな‥‥」
 と、醫師は立ち上り、姿を正しながら、
「死體收容室《モルグ》で十分研究しないと正確には申し上げられませんが、先づ水曜の夜か木曜の明方にやられたものと推定します。つまり死後三十六時間乃至四十八時間ぐらゐです。」
 グスタフソンとソオル警部は狹い廊下を戻つて左に曲ると、臺所と隣り合つた寢室へはいつて行つた。と、片側に二つの寢臺が並んでゐて、その間に|夜の飾衣《ナイト・ガウン》を着たヒルマ・ゼッテルベルグの死體が横たはつてゐた。この老婆もやつぱり頭蓋骨を碎かれ、片足を左側の寢室の端に引つ掛けた妙な恰好で突つ伏してゐる。そこから少し離れた床の上には鐵の管が投げ出されてゐたが、長さ一メートル太さ五センチばかりで、一方の端には血がねばりついてゐた。そして、床、壁、天井にまでも血が飛び散つて一面に凄慘な唐紅だつた。
「この細君が最後に殺されたやうですな。」
 と、ソオルはグスタフソンを振り返つて、
「臺所の恐ろしい物音を聞くと、細君は毛布を撥ねのけて不自由な足で寢臺を飛び出さうとしたんです。が、一足出した途端に犯人の一撃を浴びたんでせう。で、うつ伏せに倒れて、片足が
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