が嘗て批評に就いて有島生馬[#「有島生馬」に白丸傍点]氏に与へた反駁文と、同じく嘗て書かれた氏の感想「芸術その他」とを想ひ起し、また氏が何故に自己の直接体験を取材化しないかを一寸考へてみて戴きたく思ふ。と云ふのは、一つはその壮心の故に、一つはその負けず嫌ひの故に、一つはその智が余に自己を制肘するが故にと思はれるが、一体芥川氏は自己の弱味や隙間を外に現す事に甚だ臆病な、若しくは現す事を嫌ひな人である。これを云ひ換へれば、氏は裸にはなれない人である。即ち、氏の智は絶えず自己を守らうとする、警戒しようとする。自己を守らうとするが故に、警戒しようとするが故に、氏は常に外に対して昂然と身を持してゐる。そして、時には自己に迫つてくる処の者に対して、冷たいばかりの鋭さを持つた智の閃きで応酬する。――一言にして云へば、氏は自己を裸にし、若しくは裸にされる事を何よりも怖れると云ふ、一面からみれば甚だ強味になる、一面からみれば甚だ弱味になる、歴然たる一つの性向を持つてゐる。処で、この性向は明に芸術家芥川氏を背後から強く支配してゐる。即ち、それが好い意味に氏を支配する時、芸術に対するあの厳正な精進的態度とな
前へ 次へ
全10ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南部 修太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング