つてゐるが、それは可成り鋭い発見力と、細かな解剖力と、確かな批判力とを持つてゐる明智だと云へば、一番当つてゐるやうに思はれる。即ち、この明智は芸術家芥川氏の武器であり、甲冑であり、時には自分を鮮に韜晦させる面紗《ヴエエル》である。
智は人生の幸福な探求者ではない。また人間生活の享楽者ではない。随つて、芥川氏の智の視野に映じてくる処のものも、人生の、若しくは人間の悲哀、苦悶、憂鬱、寂寥、倦怠、幻滅――要するに暗き世の姿である。処で、さうした事象に対する氏の窺察、探求、解剖は、可成り繊細である。鋭敏である。例へば、比の作品中の逸品とも云ふべき「或る日の大石内蔵之助」の中で、氏が内蔵之助の心理の底に捉へてゐるものの如きは、その明智の冴えを遺憾なく語つてゐるものであらう。然し、その冴えが余に利き過ぎる時、例へば「枯野抄」の中で芭蕉の門弟達に放つた窺察、解剖の如きに到ると、恰も冷たいメスで人間の心理を切り分けてでもゐるやうな、甚だ人間的《ユノエン》なものを欠いた、拵へものの心理になつてしまつてゐる。云ひ換へれば、智の働きに申分はなくとも、其処には心《ハアト》の働きが余に欠け過ぎてゐると云ふより
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