途端《とたん》に、夏繪《なつゑ》は手《て》を叩《たた》きながら、復讐的《ふくしふてき》に野次《やじ》り立《た》てた。
 わざと大袈裟《おほげさ》に頭《あたま》をかきながら、夫《をつと》は鞠《まり》を追《お》つた。そして、庭《には》の一|隅《すみ》の呉竹《くれたけ》の根元《ねもと》にころがつてゐるそれを拾《ひろ》ひ上《あ》げようとした刹那《せつな》、一|匹《ぴき》の蜂《はち》の翅音《はおと》にはつと手《て》をすくめた。見返《みかへ》ると、黒《くろ》に黄色《きいろ》の縞《しま》のある大柄《おほがら》の蜂《はち》で、一|度《ど》高《たか》く飛《と》び上《あが》つたのがまた竹《たけ》の根元《ねもと》に降《お》りて來《き》た。と、地面《ぢべた》から一|尺《しやく》ほどの高《たか》さの竹《たけ》の皮《かは》の間《あひだ》に蜘蛛《くも》の死骸《しがい》が挾《はさ》んである。蜂《はち》はそれにとまつて暫《しばら》く夫《をつと》の氣配《けはい》を窺《うかゞ》つてゐるらしかつたが、それが身動《みうご》きもしないのを見《み》ると、死骸《しがい》を離《はな》れてすぐ近《ちか》くの地面《ぢべた》に飛《と》び降《お》りた。そして、暫《しばら》くあたりを歩《ある》きまはつてゐたが、ちよつとした土《つち》の凹《くぼ》みにぶつかると、嘴《くちばし》と前脚《まへあし》で穴《あな》を掘《ほ》り出《だ》した。
(セリセリスだな。)
 いつか讀《よ》んだアンリ、フアブルの「昆蟲記《こんちうき》」を思《おも》ひ浮《うか》べながら、夫《をつと》は好奇《かうき》の瞳《ひとみ》を凝《こ》らした。そして、ばたばた近寄《ちかよ》つて來《き》た夏繪《なつゑ》と敏樹《としき》を靜《しづか》にさせながら、二人《ふたり》を兩方《りやうはう》から抱《いだ》きよせたまま蜂《はち》の動作《どうさ》を眺《なが》めつゞけてゐた。
 蜂《はち》は絶《た》えず三|人《にん》の存在《そんざい》を警戒《けいかい》しながらも、一|心《しん》に、敏活《びんくわつ》に働《はたら》いた。頭《あたま》が土《つち》に突進《とつしん》する。脚《あし》が盛《さかん》に土《つち》をはねのける。それは靜《しづか》に差《さ》した明《あか》るい秋《あき》の日差《ひざし》の中《なか》に涙《なみだ》の熱《あつ》くなるやうな努力《どりよく》に見《み》えた。そして、一|厘《りん》二|厘《りん》と、穴《あな》は小《ちひ》さな蜂《はち》の體《からだ》を隱《かく》すほどにだんだん深《ふか》く掘《ほ》られて行《い》つた。
「パパ。あの蜂《はち》何《なに》してるの」
 と、息《いき》を凝《こ》らしてゐた夏繪《なつゑ》が低《ひく》く尋《たづ》ねかけた。
「うん、今《いま》あの穴《あな》の中《なか》へ子供《こども》を生《う》みつけるんだよ。」
 と、夫《をつと》は何《なに》か胸《むね》を打《う》つものを感《かん》じながら小聲《こごゑ》に答《こた》へた。
 全《まつた》くわき眼《め》も振《ふ》らないやうな蜂《はち》の動作《どうさ》は變《へん》に嚴肅《げんしゆく》にさへ見《み》えた。そして、瞬《またた》きもせずに見詰《みつ》めてゐる内《うち》に、夫《をつと》はその一|心《しん》さに何《なに》か嫉妬《しつと》に似《に》たやうなものを感《かん》じた。すぐ夫《をつと》は傍《そば》から松葉《まつば》を拾《ひろ》ひ上《あ》げて穴《あな》の中《なか》をつつ突《つ》いた。と、蜂《はち》はあわてて穴《あな》から出《で》て來《き》たが、忽《たちま》ち松葉《まつば》に向《むか》つて威嚇的《ゐかくてき》な素振《そぶり》を見《み》せた。
「あら、蜂《はち》が怒《おこ》つてよ」
 と、夏繪《なつゑ》は恐《おそ》れるやうに囁《ささや》いて夫《をつと》の手《て》を抑《おさ》へた。
 が、惡戯《いたづら》氣分《きぶん》になつて、夫《をつと》は手《て》を引《ひ》かなかつた。そして、なほも蜂《はち》の體《からだ》につつ突《つ》きかかると、すぐ嘴《くちばし》が松葉《まつば》に噛《か》みついた。不思議《ふしぎ》にあたりが靜《しづ》かだつた。が、やがて不意《ふい》に松葉《まつば》から離《はな》れると蜂《はち》はぶんと飛《と》び上《あが》つた。三|人《にん》ははつとどよめいた。けれども、蜂《はち》は大事《だいじ》な犧牲《ぎせい》の蜘蛛《くも》の死骸《しがい》を警戒《けいかい》しに行《い》つたのだつた。で、その存在《そんざい》をたしかめると、安心《あんしん》したやうにまたすぐ穴《あな》の所《ところ》へ飛《と》び降《お》りて來《き》た。
「パパ、また穴《あな》を掘《ほ》るよ」
 と、しやがんで膝《ひざ》にぢつと兩手《りやうて》をついたまま、敏樹《としき》が何《なに》か恐《おそ》れるやうな聲《こゑ》
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