時|藏《ぞう》や千|葉《は》早智《さち》子なども住《す》んでゐたし、シロタやトドロヰッチ夫人のピアノ彈奏《だんそう》を立ち聽きした事もあるし、所謂《いはゆる》見|越《こし》の松|風《ふう》の淑《しゆく》女も幾《いく》人か住むといふやうな物|靜《しづ》かな屋|敷《しき》町でもある。さういふ町内に僕《ぼく》の將棋《せうき》の好敵《こうてき》手がゐる。改《あらた》まつて紹介《せうかい》すれば、新美|術《じゆつ》院《いん》會|員《いん》、國|畫《ぐわ》會|總帥《そうすい》の梅原|龍《りう》三郎|畫伯《ぐわはく》その人だが、なアにお互《たがひ》に負けず嫌《きら》ひで相當|意《い》地つ張《は》りでもある二人。將棋《せうき》では何|糞《くそ》つと力み返《かへ》つて遠慮《えんりよ》なしに負《ま》かしたり負《ま》かされたりする事既に五六年にもならうか?
この夏もお互《たがひ》に旅《たび》先や何かで久しく顏《かほ》を合せなかつた二人、さて新秋になると、向《むか》うは熱《あた》海で勉強《べんけう》して大に強《つよ》くなつたと自|信《しん》を持ち、僕《ぼく》は僕《ぼく》で名人|决《けつ》定|戰《せん》の觀戰
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