ふん》して、笑《わら》つたり呶鳴《どな》つたり、飛《と》び上《あが》つたりしてはしやいでゐた。大地《だいち》に當《あた》る靴音《くつおと》は生《い》き生《い》きして高《たか》く夜《よる》の空氣《くうき》に反響《はんきやう》した。
「とうとう『馬《うま》さん』やりやあがつた‥‥」と、一人《ひとり》の兵士《へいし》がげらげら笑《わら》ひ出《だ》した。
「選《よ》りに選《よ》つて奴《やつ》が落《お》ちるなんてよつぽど運《うん》が惡《わる》いや‥‥」と、一人《ひとり》はまたそれが自分《じぶん》でなかつた事《こと》を祝福《しゆくふく》するやうに云《い》つた。
「また髭《ひげ》にうんと絞《しぼ》られるぜ‥‥」
「可哀想《かはいさう》になあ‥‥」
中根熊吉《なかねくまきち》の「馬《うま》さん」は二|年兵《ねんへい》の二|等卒《とうそつ》で、中隊《ちうたい》でもノロマとお人好《ひとよ》しとで有名《いうめい》だつた。教練《けうれん》の度毎《たびごと》にヘマをやつて小隊長《せうたいちやう》や分隊長《ぶんたいちやう》に小言《こごと》を云《い》はれ續《つづ》けだつた。戰友達《せんいうたち》にもすつかり馬鹿《ばか》にされてゐた。鼻《はな》が低《ひく》くて眼《め》が細《ほそ》くて、何處《どこ》か間《ま》の拔《ぬ》けた感《かん》じのする平《ひら》べつたい顏《かほ》――その顏《かほ》が長《なが》いので「馬《うま》さん」と言《い》ふ綽名《あだな》がついた。が、中根《なかね》は都會生《とくわいうま》れの兵士達《へいしたち》のやうにズルではなかつた。決《けつ》して不眞面目《ふまじめ》ではなかつた。彼《かれ》は實際《じつさい》まつ正直《しやうぢき》に「天子樣《てんしさま》に御奉公《ごほうこう》する」積《つも》りで軍務《ぐんむ》を勉強《べんきやう》してゐたのである。が、彼《かれ》の生《うま》れつきはどうする事《こと》も出來《でき》なかつた。で、彼《かれ》はムキになればなるだけ教練《けうれん》や武術《ぶじゆつ》に失敗《しつぱい》し、上官達《じやうくわんたち》に叱《しか》りつけられ、戰友達《せんいうたち》にはなぶり物《もの》にされるのだつた。――氣《き》の毒《どく》だな‥‥と、思《おも》ふことが私《わたし》も度々《たび/\》あつた。
「然《しか》し、僕《ぼく》もずゐ分《ぶん》氣《き》を附《つ》けちやあゐたんだぜ‥‥」と、私《わたし》は傍《そば》の兵士《へいし》を顧《かへり》みた。
「さうですか。でも、ありやあ好《い》い眠氣覺《ねむけざま》しですよ‥‥」と、彼《かれ》は冷淡《れいたん》に答《こた》へた。
「ふふ、眠氣覺《ねむけざま》しも利《き》き過《す》ぎらあ‥‥」
「はつはつはつ、水《みづ》の中《なか》で一|生懸命《しよけんめい》に銃《じう》を差《さ》し上《あ》げた處《ところ》は好《よ》かつたね‥‥」
「とんだ五九|郎《らう》だ‥‥」と、誰《だれ》かが呟《つぶや》いた。劇《はげ》しい笑聲《せうせい》がわつと起《おこ》つた。
が、暫《しばら》くすると中根《なかね》の話《はなし》にも倦《あ》きが來《き》た。そして、三十|分《ぷん》も經《た》たない内《うち》にまた兵士達《へいしたち》の歩調《ほてう》は亂《みだ》れて來《き》た。ゐ眠《ねむ》りが始《はじ》まつた。みんなは下弦《かげん》の月《つき》が東《ひがし》の空《そら》に出《で》て來《き》たのも氣《き》が附《つ》かずに醉《よ》ひどれのやうに歩《ある》いてゐた。
N原《はら》の行手《ゆくて》はまだ遠《とほ》かつた。私《わたし》が濡《ぬ》れしよびれた中根《なかね》の姿《すがた》を想像《さうぞう》して時時《ときどき》可笑《をか》しく[#「可笑《をか》しく」は底本では「可笑《をか》じく」]なつたり、氣《き》の毒《どく》になつたりした。が、何時《いつ》か私《わたし》も襲《おそ》つてくる睡魔《すゐま》を堪《こら》へきれなくなつてゐた。
N原《はら》の出張演習《しゆつちやうえんしふ》は二|週間程《しうかんほど》で過《す》ぎた。我我《われわれ》[#「我我」は底本では「我日」]は日日《にちにち》の劇《はげ》しい演習《えんしふ》に疲《つか》れきつた。そして、六|月《ぐわつ》の下旬《げじゆん》にまたT市《し》の居住地《きよぢうち》に歸營《きえい》した。中根《なかね》の話《はなし》はもうすつかり忘《わす》れられてゐた。中根《なかね》自身《じしん》も相變《あひかは》らず平《ひら》ぺつたい顏《かほ》ににやにや笑《わら》ひを浮《うか》べながら勤務《きんむ》してゐた。
歸營《きえい》してから三|日目《かめ》の朝《あさ》だつた。中隊教練《ちうたいけうれん》が濟《す》んで一先《ひとま》づ解散《かいさん》すると、分隊長《ぶんたいちやう》の高岡軍曹《たかを
前へ
次へ
全7ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南部 修太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング