ば、それだけ女の生體を掴まうとする好奇心が波打つてくるわけだ。それに君、風はなかつたが、凍るやうな寒い晩で、澄み切つた空には星がぴかりぴかりやつてゐるのさ。とうとう不思議な spazielen zu gehen が始まつたんだ。」
「今夜の傑作だ……」
と、[#底本では、句点欠]ぢつと聽き入つてゐたHが、少し紅味を帶びた、輪廓の整つた、品の好い顏を上げて呟きました。S中尉の話には次第に油が乘つて來ました。
「まあ聞き給へ。それから初めに肩を並べてゐた二人が、次に手と手を握り合ひ、やがて肩から腰へと手を掛け合つて、身を寄せて、あの濠端の暗い道を二時間も行き來して、語り續けたんだ。ちよいと見て高等淫賣と見極めをつけてゐた僕は、初めのうちはありふれた世間話でお茶を濁してゐたが、そのうちに女はだんだん眞劍になつて來て、まるで僕を戀人のやうな位置に置いて、細《こまか》い身の上話を始めるんだ。それが非常に筋道が立つてゐるし、殊に親身なんで、とても疑ひを挾む隙さへないんだ。聞き手の僕自身さへ身につまされて、何だかセンチメンタル――さうだ、さう云ふ言葉があつたね。つまりセンチメンタルになつたんだ。なんでも女はT女學校の出身で、家は目白だとか云つてゐた。そして十九の時かに、下谷邊のある株屋の家へ嫁いだのださうだ。初め夫は非常にその女を愛してゐた。で、翌翌年かに男の子を産んだ處が、不幸にして半年目かにそれが疫痢に犯されて、とうとうK病院で死んだんださうだ。すると、もうその時分から夫の彼女に對する愛情は冷えてしまつて、藝者狂ひは始めるし、家では姑にいびられて、とどのつまりが離縁と云ふのさ。全く可哀想になつたよ。そして僕がしんみり聽いてやつてると、繰り返し繰り返し夫や世間に對する怨み言を訴へたり、女は弱いものだ――なんて云ふんぢやないか。
『世間て、どうしてこんなに薄情なんでせうね。私程不幸なものはない――と、時時さう思つて、悲しくなりますの……』
と、大に同情を求めて、仕舞ひには身を震はして泣き出すんだ。いささか持て餘したね。そして勿論はつきりしたことを云つたわけぢやあないが、僕が軍人であることをほのめかすと、
『軍人の方は頼もしい。』
などと云つて、僕の手を執つて、何度か接吻《キツス》したりするんだぜ。そして君、ぴつたり凭せてゐるその柔かい肩の肉から、泣《ない》じやくりが僕の體に
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