がだんだんに沈んで來て、中にもHは自分の話半ばに眼に涙を溜めてゐました。
「どうも皆《みんな》はなかなか話が豊富なんだな。」
と、四番目の話手に當つたS中尉が頭を掻きながら云ひました。
山の手の屋敷町にあるMの家は、募つてくる夜の寒さに軋む雨戸の音さへ身に染む程の靜けさで、殊に主屋《おもや》と離れたMの書齋は、家人との交渉もなく、思ひのままに話は進むのです。そして夜も大分更け渡つてゐましたが、皆《みんな》は時の移るのも忘れ勝ちでした。時時、遠くから交叉點を横切る電車の響が、鈍く、寂しく聞えてくるのです。
「さあS、君の番だぞ……」
と、自分の物語を終つたHは、煙草の烟の輪を吹きながら興奮した面持《おももち》でせき立てました。
「皆《みんな》の話が馬鹿に詩的なんで驚いたよ。おまけに後は君だらう……」
と、S中尉はピンと撥ね上げた、少し貧弱なカイゼル髭を撫でながら、私を見て皮肉に笑ふのです。
「馬鹿あ云ひ給へ。君にだつて君の領分があるぢやあないか……」
と、私も笑ひ返しながらせき立てました。實を云へば、皆《みんな》の眼の一致する處、一座の中でS中尉が一番さうした[#底本では「さしうた」と誤り]ことに Out of the question らしかつたのです。もつと皮肉に云へば、皆《みんな》は其故に一そう彼の物語を期待してゐました。で、彼が頭を掻きながら無骨な、而も困りきつた樣子で逡巡すればするだけ、四人の心の中には一種の好奇心が湧き立つてくるのです。こんな心持は誰しもあることでせう。どんなに親しい人達の間にでも、特にそれが親しければ親しいだけに強く起つてくる、一面から見れば隨分人の惡い惡戯氣分《いたづらきぶん》がS中尉を對象にしてそそり立てられて來たのです。かうなると、今まで少し沈んでゐた一座の空氣の中に、或る上つ調子な氣持が漂つて來て、四人の眼は意地惡く、S中尉の練兵燒けのした淺黒い顏にそそがれ始めました。へどもどするのはS中尉だけです。
「おい、夜が明けるぞ……」
と、口の惡いMは叫びました。
「まあ待てよ……」
やがてグラスを取り上げて、ベルモットに咽喉《のど》をうるほしたS中尉は、てれ隱しにバスの聲を一聲かう張り上げたかと思ふと、勿體らしく話し始めました。が、その顏には當惑らしい苦笑が絶えませんでした。
「どうも戀物語と云つちやあ、僕のは少し可笑し
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