》に立っている見物の一人に、おいしいから食べて御覧なさいと言いました。
 途端《とたん》に、空から長い網がするすると落ちて来ました。それが、見ている間《ま》に、するするするすると落ちて来て、忽《たちま》ち爺さんの目の前に山のようになってしまいました。
 すると爺さんが青くなって叫びました。
「さあ、大変だ。孫はどうしたのでございましょう。孫はどうして降りて来るのでございましょう」
 そう言ってる途端に、どしんという音がして何か空から落《おっ》こって来ました。
 それは子供の頭でした。
「わあ、大変だ。孫はきっと天国で梨の実を盗んでるところを庭師に捕《つか》まって、首を斬《き》られたに違いない。ああ、わしはどうして孫をあんな恐ろしい所へ遣《や》ったんだろう。なぜ、皆様方は梨の実が欲しいなどと無理な事を仰《おっ》しゃったのです。可哀《かわい》そうに、わたくしのたった一人の孫は、こんな酷《むご》たらしい姿になってしまいました。ああ、可哀そうに。可哀そうに。」
 爺さんはこう言って、わあわあ泣きながら、子供の首を抱きしめました。
 そうしてる内に、手が両方ばらばらになって落ちて来ました。右の足と左の足とが別々に落ちて来ました。最後に子供の胴が、どしんとばかり空から落っこって来ました。
 私はもう初め首の落っこって来た時から、恐《こわ》くて恐くてぶるぶる顫《ふる》えていました。
 大勢の見物もみんな顔色を失《うしな》って、誰《だれ》一人口を利《き》く者がないのです。
 爺さんは泣きながら、手や足や胴中を集めて、それを箱の中へ収《しま》いました。そして、最後に、子供の頭をその中へ入れました。それから、見物の方を向くと、こう言いました。
「これはわたくしのたった一人の孫でございます。わたくしは何処《どこ》へ参るにも、これを連れて歩きましたが、もうきょうからわたくしは一人になってしまいました。
 もうこの商売も廃《や》めでございます。これから孫の葬《ともら》いをして、わたくしは山へでも這入《はい》ってしまいます。お立ち会いの皆々様。孫はあなた方の御注文遊ばした梨の実の為《ため》に命を終えたのでございます。どうぞ葬《ともら》いの費用を多少なりともお恵み下さいまし。」
 これを聞くと、見物の女達は一度にわっと泣き出しました。
 爺さんは両手を前へ出して、見物の一人一人《ひとりびとり》からお金を貰《もら》って歩きました。
 大抵《たいてい》な人は財布《さいふ》の底をはたいて、それを爺さんの手にのせて遣《や》りました。私の乳母《ばあや》も巾着《きんちゃく》にあるだけのお金をみんな遣ってしまいました。
 爺さんは金をすっかり集めてしまうと、さっきの箱の側《そば》へ行って、その上を二つ三つコンコンと叩《たた》きました。
「坊主。坊主。早く出て来て、お客様方にお礼を申し上げないか。」
 爺さんがこう言いますと、箱の中でコトンという音がしました。
 すると、箱の蓋《ふた》がひとりでにヒョイと明いて中から子供が飛出しました。首も手も足もちゃんと附《つい》ていて、怪我《けが》一つしていない子供が、ニコニコ笑いながら、みんなの前に立ちました。
 やがて、子供と爺さんは箱と綱を担《かつ》いで、いそいそと人込《ひとごみ》の中へ隠れて行ってしまいました。



底本:「赤い鳥傑作集」新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年6月25日発行
   1974(昭和49)年9月10日29刷改版
   1989(平成元)年10月15日48刷
底本の親本:「赤い鳥」10月号
   1918(大正7)年10月
入力:林 幸雄
校正:本山智子
2001年5月1日公開
2005年9月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小山内 薫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング