でも逃げないと危いからつて、あたしとお富どんで、抱へるやうにしてやつと渡らせたの。あたしも若菜さんも平氣なものよ。あんな面白い事なかつたわ。※[#始め二重括弧、1−2−54]大抵な人は一度斯ういふ目に會ふと懲《こ》りるものだが、梅龍は一向平氣なものである。これから却《かへ》つて水が好きになつたと言ふのだから驚く。こなひだも溜池《ためいけ》に水が出て、梅龍の家の揚板の下まで水が這入つた時も、自分の荷物だけはちやんと二階の安全な所へ納つて置いてから、尻つぱしよりで下をはしやぎ廻つたといふ利己的な奴である。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
やつと湯本の福住へ着いて、やれ安心とお湯へ這入つてると、こゝも危くなつたから、又逃げるんだつて言ふの。大變な雨風《あめかぜ》で傘も何もさせやしないのよ。姐さんは、お金がないと困るつて、信玄袋だけ持つて逃げたの。
やつと別館へ着いたと思つたら、姐さんが目を廻してひつくり返つて了つたの。別館にはもう大勢お客が逃げて來てゐるのよ。するとそのお客の中から、大學生見たいな方がどういふ訣だか、マントで顏を隱して、コップに注いだ葡萄酒をマントの下から出して下すつたのよ。それを飮むと姐さんは直ぐ氣が附いたの。あんまり心配したり雨に濡れたりしたからなんでせう。※[#始め二重括弧、1−2−54]この事はその後都新聞へ文章面白く書かれた。その大學生は或博士の祕藏息子であつた。梅龍の姉は大學生の親切が元で思はぬ戀に落ちたといふ風な極古風な艶種《つやだね》であつたが、梅龍はいつも「まさか。」と言つて、否定するのである。※[#終わり二重括弧、1−2−55]それからお醫者を呼ぶと、芝居《しばや》のお醫者さん見たいなお醫者さんが來てよ。そりやあ、ほんとに芝居の通りよ。いやに勿體ぶつて。それで藪醫者なの。なんにも分りやあしないのよ。たうとう終《しまひ》に分らないものだから、家の方が水で危いからとか何とか言つて、逃げ出して行つてしまつたのよ。ほんとにあんなお醫者つて始めて見たわ。でも、姐さんは直ぐよくなつたの。
別館では大勢で焚き出しをしてるのよ。あたし前の晩におむすび二つ喰べたつきりでせう。お腹が減つてたから隨分喰べてよ。姐さんの分もお富どんの分も大抵あたしが喰べちまつたの。
明くる日お天氣になつたから、玉龍さんと三人で玉簾《たまだれ》の瀧へ行つて見たの。方
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