因果
小山内薫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)俳優《やくしゃ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)最早《もう》十|数年前《すねんぜん》
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俳優《やくしゃ》というものは、如何《どう》いうものか、こういう談《はなし》を沢山に持っている、これも或《ある》俳優《やくしゃ》が実見《じっけん》した談《はなし》だ。
今から最早《もう》十|数年前《すねんぜん》、その俳優《やくしゃ》が、地方を巡業して、加賀《かが》の金沢市《かなざわし》で暫時《しばらく》逗留《とうりゅう》して、其地《そこ》で芝居をうっていたことがあった、その時にその俳優《やくしゃ》が泊っていた宿屋に、その時十九になる娘があったが、何時《いつ》しかその俳優《やくしゃ》と娘との間には、浅からぬ関係を生じたのである、ところが俳優《やくしゃ》も旅の身|故《ゆえ》、娘と種々《いろいろ》名残を惜《おし》んで、やがて、己《おのれ》は金沢を出発して、その後《のち》もまた旅から旅へと廻っていたのだ、しかしその後《のち》に彼はその娘の消息を少しも知らなかったそうだが、それから余程月日が経ってから、その話を聞いて、始めて非常に驚怖《きょうふ》したとの事である。娘は終《つい》にその俳優《やくしゃ》の胤《たね》を宿して、女の子を産んだそうだが、何分《なにぶん》にも、甚《はなは》だしい難産であったので、三日目にはその生れた子も死に、娘もその後《のち》産後の日立《ひだち》が悪《わ》るかったので、これも日ならずして後《あと》から同じく死んでしまったとの事だ。こんな事のあったとは、彼は夢にも知らなかった、相変らず旅廻りをしながら、不図《ふと》或《ある》宿屋へ着くと、婢女《じょちゅう》が、二枚の座蒲団を出したり、お膳を二人前|据《す》えたりなどするので「己《おれ》一人だよ」と注意をすると、婢女《じょちゅう》は妙な顔をして、「お連様《つれさま》は」というのであった、彼も頗《すこぶ》る不思議だとは思ったが、ただそれくらいのことに止《と》まって、別に変った事も無かったので、格別気にも止めずに、やがて諸国の巡業を終えて、久振《ひさしぶり》で東京に帰った、すると彼は間もなく、周旋する人があって、彼は芽出度《めでた》く女房を娶《もら》った。ところが或《ある》日若夫婦二人|揃《そろい》で、さる料理店へ飯を食いに行くと、またそこの婢女《じょちゅう》が座蒲団を三人分持って来たので、おかしいとは思ったが、何しろ女房の手前もあることだから、そこはその儘《まま》冗談にまぎらして帰って来たが、その晩は少し遅くなったので、淋しい横町から、二人肩と肩と擦《す》れ寄《よ》りながら、自分の家の前まで来て内へ入ろうと思った途端、其処《そこ》に誰も居ないものが、スーウと格子戸が開いた時は、彼も流石《さすが》に慄然《ぞっ》としたそうだが、幸《さいわい》に女房はそれを気が付かなかったらしいので、無理に平気を装って、内に入ってその晩は、事なく寝たが、就中《なかんずく》胆《きも》を冷したというのは、或《ある》夏の夜のこと、夫婦が寝ぞべりながら、二人して茶の間で、都《みやこ》新聞の三面小説を読んでいると、その小説の挿絵が、呀《アッ》という間に、例の死霊が善光寺《ぜんこうじ》に詣《まい》る絵と変って、その途端、女房はキャッと叫んだ、見るとその黒髪を彼方《うしろ》へ引張《ひっぱ》られる様なので、女房は右の手を差伸《さしのば》して、自分の髪を抑えたが、その儘《まま》其処《そこ》へ気絶して仆《たお》れた。見ると右の手の親指がキュッと内の方へ屈《まが》っている、やがて皆《みんな》して、漸《ようや》くに蘇生をさしたそうだが、こんな恐ろしい目には始めて出会ったと物語って、後《あと》でいうには、これは決して怨霊とか、何とかいう様な所謂《いわゆる》口惜《くや》しみの念ではなく、ただ私に娘がその死を知らしたいが為《た》めだったろうと、附加《つけくわ》えていたのであった。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「怪談会」柏舎書楼
1909(明治42)年発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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