食いに行くと、またそこの婢女《じょちゅう》が座蒲団を三人分持って来たので、おかしいとは思ったが、何しろ女房の手前もあることだから、そこはその儘《まま》冗談にまぎらして帰って来たが、その晩は少し遅くなったので、淋しい横町から、二人肩と肩と擦《す》れ寄《よ》りながら、自分の家の前まで来て内へ入ろうと思った途端、其処《そこ》に誰も居ないものが、スーウと格子戸が開いた時は、彼も流石《さすが》に慄然《ぞっ》としたそうだが、幸《さいわい》に女房はそれを気が付かなかったらしいので、無理に平気を装って、内に入ってその晩は、事なく寝たが、就中《なかんずく》胆《きも》を冷したというのは、或《ある》夏の夜のこと、夫婦が寝ぞべりながら、二人して茶の間で、都《みやこ》新聞の三面小説を読んでいると、その小説の挿絵が、呀《アッ》という間に、例の死霊が善光寺《ぜんこうじ》に詣《まい》る絵と変って、その途端、女房はキャッと叫んだ、見るとその黒髪を彼方《うしろ》へ引張《ひっぱ》られる様なので、女房は右の手を差伸《さしのば》して、自分の髪を抑えたが、その儘《まま》其処《そこ》へ気絶して仆《たお》れた。見ると右の手の親指がキュッと内の方へ屈《まが》っている、やがて皆《みんな》して、漸《ようや》くに蘇生をさしたそうだが、こんな恐ろしい目には始めて出会ったと物語って、後《あと》でいうには、これは決して怨霊とか、何とかいう様な所謂《いわゆる》口惜《くや》しみの念ではなく、ただ私に娘がその死を知らしたいが為《た》めだったろうと、附加《つけくわ》えていたのであった。



底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
   2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「怪談会」柏舎書楼
   1909(明治42)年発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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