時のことである。
それからの三年を院の事業の内地での足がために費やし、横山《よこやま》、下村《しもむら》、菱田《ひしだ》などいう当時の新進気鋭の士の協力を獲て、明治中葉の画壇に一新気運を喚起した後、明治三十四年(一九〇一)の末に至り、鬱勃《うつぼつ》の元気に駆られ、孤剣一路、東のかたインドの地の訪問を思いたった。けだし、英国の治下に独立の夢まどかならぬこの不幸の国民と相いだいて、往古の盛時をしのび、大恩教主の法の光をひとしく仰ぐわれら東邦民族の合同をも策し、東洋百年の計も語らってみたかったためであろう。古《いにしえ》のギリシャにあこがれの誠をいたすにつれ、今のギリシャの悲境を見るに見かねて、これが救済に馳《は》せ向かわんとした情熱の人詩人バイロンに、風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》において性行において大いに類似を示した兄には、そうした大志を自分はいかにもふさわしく考えるのである。その兄のローマンチックな行動は、しかし、時のインド総督カーゾン卿《きょう》の目に異様の冷光をひらめかせたらしく、豪族タゴール一家の周到な庇護《ひご》によってわずかに事なきを得は得たも
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