うにみゆるも、多少の苦心を籠めつる多かり。
おのれは漢學者の子にて、わづかに家學を受け、また、王父が蘭學の遺志をつぎて、いさゝか英學を攻めつるのみ、國學とては、さらに師事せしところなく、受けたるところなく、たゞ、おのが好きとて、そこばくの國書を覽わたしつるまでなり。さるを思へば、そのはじめ、かゝる重き編輯の命を、おふけなくも、いなまずうけたまはりつるものかな、辭書編輯の業、碩學すらなやめるは、これなりけりと思ひ得たるにいたりては、初の鋭氣、頓にくじけて、心そゞろに畏れを抱くにいたりぬ。また、局長には、おのれが業のはかどらぬを、いかにか思はるらむ、怠り居るとや思ひをらるらむ、などおもふに、そも、局長西村君は、そのはじめ、この業をおのれに命ぜられてより、ひさしき歳月をわたれるに、さらに、いかにと問はれし事もなく、うながされし事もなし、その意中推しはかりかねて、つねにはづかしく思へりき。さるに、明治十六年の事なりき、阿波の人井上勤君、編輯局に入り來られぬ、同君、まづ局長に會はれし時に、局中には學士も濟々たらむ、何がし、くれがし、と話しあはれたる時、局長のいはるゝに、「こゝに、ひとり、奇人こそ
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