その教授のいそがはしきいとまに、かゝる著作ありつるは、敬服すべきことなり。この著作の初に、おのれが文典の稿本を借してよとありしかば、借しまゐらせつれば、やがて全部を寫されたり、されば八品詞その外のわかちなどは、おのれが物と、名目こそは、いさゝかかはりつれ、そのすぢは、おほかた同じさまとはなれり。そのかみ、君をはじめとして、横山由清、榊原芳野、那珂通高、の君たちに會ひまゐらせつるごとに、「辭書はいかに、」と問はれたりき、成りたらむには、とこそ思ひつるに、今は皆世におはせず、寫眞にむかへども、いらへなし、哀しき事のかぎりなり。物集君は、故高世大人の後とて、家學の學殖もおはするものから、これも、教授に公務に、いとまあるまじくも思はるゝに、綽々餘裕ありて、そのわざを遂げられつること歎服せずはあらず。近藤君の著と共に、古書を讀みわけむものに、裨益多かりかし。「いろは辭典」は、その撰を異にして、通俗語、漢語、多くて、動詞などは、口語のすがたにて擧げられたり、童蒙のたすけ少からじ。三書、おの/\長所あり。おのれが言海、あやまりあるべからむこと、言ふまでもなし。されど、體裁にいたりては、別におのづから
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