厄なり。これより後は、先人の舊門なる文傳正興氏に托して、※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]正の事を擔任せしめぬ。
遭厄の中に、もとも堪へがたく、又成功の期にちかづきて、大にこの業をさまたげつるは、おのれが妻と子との失せつる事なりけり。爰には不用にもあり、くだ/\しうもあれど、おのれの身に取りては、この書の刊行中の災厄とて、もとも後の思ひでとならむ事なるべければ、人の見る目にも恥ぢず記しつけおかむとす。去々年十一月に生れたるおのが次女の「ゑみ」といへる、生れてよりいとすこやかなりしが、去年十月のはつかばかりより、感冐して、後に結核性腦膜炎とはなれり。醫高松氏が病院に、妻小婢(いそ)と共に托せしに、病性よからずして心をなやましぬ。朝夕に行きては、いたはしき顏をまもり、歸りては筆を執れども、心も心ならず。十一月十六日の、まだ宵のまに、まさに原稿の「ゆ」の部を訂正して、箏のおし手の「ゆしあんずるに」ゆのねふかうすましたり」などいふ條を推考せるをりに、小婢、病院よりはせかへりきて、家に入りて、物をもいはずそのまゝ打伏し聲立てゝ泣く、病の危篤なるを告ぐるなり、筆をなげうち、蹶起してはしり
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