回の※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]正とはなりぬ。かくてより、今年の落成にいたるまで、二年半の歳月は、世のまじらひをも絶ちて、晝となく夜となく、たゞこの訂正※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]合にのみ打ちかゝりて、更に他事をかへりみず。さてまた、篇中の體裁も、注釋文も、初稿とは大に面目をあらためぬ。
本書刊行のはじめに、編輯局工塲と約して、全部、明年九月に完結せしめむと豫算したり。又、書林は、舊知なる小林新兵衞、牧野善兵衞、三木佐助の三氏に發賣の事を托せしに、豫約發賣の方法よからむとすゝめらるゝにしたがひて、全部を四册にわかちて、第壹册は三月、第二册は五月、第三册は七月、第四册は九月中に發行せむと假定しぬ。さるに、此事業、いかなる運にか、初より終まで、つねに障礙にのみあひて、ひとつも豫算のごとくなることあたはず、遂に完結までに、二年半をつひやせり、今、左にその障礙のいちじるきものをしるさむ。
明治二十二年三月にいたりて、編輯局の工塲を、假に印刷局につけられたるよしにて、その事務引きつぎのためにとて、數十日間、工事の中止にあひ、さて、二十三年三月にいたりて、編輯局の工塲は、終にまたく廢せられぬ。これより後は、一私人として、さらに印刷局に願ひいでずてはかなはず、その出願には、規則の手續を要せらるゝ事ありて、豫算にたがへる事もおこりしかば、編輯局にうれへまうす事どもありしかど、今はせむかたなしとて郤けられぬ、稿本下賜の恩命もあれば、しひて違約の愁訴もしかねて、それより、家兄修二、佐久間貞一君、益田孝君などの周旋を得て、とかくの手つゞきして、からうじて再着手とはなれり、此の間も、中止せられぬること、六十餘日に及びぬ。又、この前後、公用刊行の物輻湊する時は、おのれが工事は、さしおかれたる事もしば/\なりき。かく、數度の障礙にはあひつれど、この工事を他の工塲に托せむの心は起らざりき、さるは、同局の工事は、いふまでもなき事ながら、植字に※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]正に、謹嚴精良なる事、麻姑を雇ひて癢處を掻くが如く、また他にあるべくもあらざればなり、見む人、本書を開きて目止めよかし。さてまた、本書植字の事、原稿の上にては、さまでとも思はざりしが、さて着手となりてみれば、假名の活字は、異體別調のものなれば、寸法一々同じからず、その外、くさ/″\の符號など、全版面に、およそ七十餘とほりのつかひわけあり、植字※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]正のわづらはしきこと、熟練のうへにてもはかどらず、いかに促せどもすゝまず。又、辭書のことなれば、母型に無き難字の、思ひのほかに出できて、木刻の新調にいとまをつひやせる事、甚だ多し。およそ、これらの事、豫算には思ひもまうけぬ事どもにて、すべて遲延の事由とはなりぬ。又※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]正者中田邦行氏、腦充血にて、二十二年六月に失せられぬ、本書の業につきては、その初より、大久保氏とともに、助力おほかたならず、多年、篇中の文字符號に熟練せる人を失ひて、いと/\こうじぬ。また、去年の春、流行性感冐行はれ、年の末より今年にかけて、ふたゝび行はれ、おのれも、※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]正者も、植字工も、この前後再度の流行に、數日間倒れぬ。また、去年の十月、おのが家、壁隣の火に遇へり。また、※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]正者大久保初男氏、その十一月、徳島縣中學校教員に赴任せられて、たのめる一臂を失ひていよ/\こうじぬ、およそこれらの事、皆此書の遭厄なり。これより後は、先人の舊門なる文傳正興氏に托して、※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]正の事を擔任せしめぬ。
遭厄の中に、もとも堪へがたく、又成功の期にちかづきて、大にこの業をさまたげつるは、おのれが妻と子との失せつる事なりけり。爰には不用にもあり、くだ/\しうもあれど、おのれの身に取りては、この書の刊行中の災厄とて、もとも後の思ひでとならむ事なるべければ、人の見る目にも恥ぢず記しつけおかむとす。去々年十一月に生れたるおのが次女の「ゑみ」といへる、生れてよりいとすこやかなりしが、去年十月のはつかばかりより、感冐して、後に結核性腦膜炎とはなれり。醫高松氏が病院に、妻小婢(いそ)と共に托せしに、病性よからずして心をなやましぬ。朝夕に行きては、いたはしき顏をまもり、歸りては筆を執れども、心も心ならず。十一月十六日の、まだ宵のまに、まさに原稿の「ゆ」の部を訂正して、箏のおし手の「ゆしあんずるに」ゆのねふかうすましたり」などいふ條を推考せるをりに、小婢、病院よりはせかへりきて、家に入りて、物をもいはずそのまゝ打伏し聲立てゝ泣く、病の危篤なるを告ぐるなり、筆をなげうち、蹶起してはしり
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大槻 文彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング