、出色の所なきにしもあらじ、後世いかなる學士の出でゝ、辭書を編せむにも、言海の體例は、必ずその考據のかたはしに供へずはあらじ、また、辭書の史を記さむ人あらむに、必ずその年紀のかたはしに記しつけずはあらじ。自負のとがめなきにしもあらざるべけれど、この事は、おのれ、いさゝか、行くすゑをかけて信じ思ふところなり。
おのれ、もとより、家道裕ならず、されば、資金の乏しきにこうじて、物遠き語とては漏しつる、出典の書名をはぶきつる、圖畫を加へざりつる、共にこの書の短所とはなりぬ、遺憾やらむかたなし。そも、おのれが學の淺き才の短き、この上に多く立ちまさりて、別にしいでむ事とてもあるまじけれど、今の目のまへにてもあれ、資本だに繼がば、これに倍せむほどのもの、つくりいでむは難からじなど、かけておもふ所なきにしもあらず。されど、我が國の文華は、開けつるがごとくみゆれど、いまだ開けず、資金をつひやして完全せしめむには、價を増さずはあるべからず、今の文化の度にては、物の品位に對して廉不廉などの比較は、おきていはず、たゞ書籍なんどいはむものに、そこばく圓といふ金出さんずる需用家の多からむとは、かけても望みえず。されば、たとひ資本を得たりとも、收支の合はざらむわざは、をこなりけりと思ひなりて、志を出費の犧牲として、さて已みつるなり。むかしの侯伯には、食前方丈侍妾數百人をはぶきて、文教の助けとある浩瀚の書を印行せしもありき、今の世にはありがたかり。こゝにいたりて、韓文公が宰相への上書をおもひいでゝ、あはれ、力ある人の一宴會の費もがな、などいやしげなるかたゐ心もいでくるぞかし、やみなむ/\、學者の貧しきは、和漢西洋、千里同風なりとこそ聞けれ、おのれのみつぶやくべきにあらず。さりながら、この業、もとより、このたびのみにして已むべきにあらず、年を逐ひて刪修潤色の功をつみ、再版、三版、四五版にもいたらむ、天のおのれに年を假さむかぎりは、斯文のために撓むことあるべからず。
今年一月七日、原稿訂正の功、またくしをへて、からうじて數年の辛勤一頓し、さて、今月に入りて、全部の印刷も、遂に全く大成を告げぬ、こゝに、多年の志を達して、かつは公命に答へたてまつり、かつは父祖の靈を拜して、いさゝか昔日の遺誡に酬い畢はんぬ。明治二十四年四月 平文彦

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この文、もと、稿本の奧に書きつけおけるおのれがわ
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