で見るらしかった。いくら呼んでも丸木船が有りながら、それを出してはくれなかった。そこで、漸《ようや》く発見した浅瀬を銘々|徒渉《としょう》する事になった。
「立騒ぐには及ばぬ。我等は決して敵意ある者ではない。薬草採りに参ったのじゃ」
漸く里人に納得さして、村一番の長者|小池大炊之助《こいけおおいのすけ》の家へと案内させた。
大炊之助は池大納言《いけだいなごん》三十二代の後裔《こうえい》だというのであった。平家の落武者がこの里に隠れ住む事|歳《とし》久《ひさ》しく、全く他郷との行通《こうつう》を絶って、桃源武陵の生活をしていたのだけれど、たまたま三面川に椀《わん》を流したのから、下流の里人に発見されたという、そうした伝説が有るのであった。
鷲ヶ巣山《わしがすやま》、光鷺山《みつさぎやま》、伊東岳《いとうだけ》、泥股山《どろまたやま》などの大山高岳に取囲まれて、全くの別世界。家の建築も非常に変っていて、六月というに未だ雪避けの萱莚《かやむしろ》が、屋上から垂れていて、陰気臭さと云ったらないのであった。
勝成裕と立花直芳とのみ座敷へ通った。他の従者は庭で徒渉に濡れた衣類を乾かすのであった。
座敷と云っても畳は敷いてなく、板張りの上に古風な円座が並べられたに過ぎなかった。
「これはこれは好《よ》うぞ、お出《い》で下された」
総髪を木皮《もくひ》で後《うしろ》に束ねて、いかめしく髭を蓄えたる主人大炊之助が、奥から花色の麻布《あさふ》に短刀を佩《は》いて出《い》で来った。
勝国手と主人との対談中に、直芳は何心なく室内を見廻してびっくりした。四辺《あたり》が眼だらけであった。どちらを見ても多くの眼の球が光るのであった。眼、眼、眼ならざるは無し!
煤《すす》に赤黒き障子の、破れという破れにはことごとく眼の輝きが見えた。蜘蛛《くも》の巣を塵《ちり》で太らしたのが、簾《みす》の如く張り渡された欄間の隙間にも、眼のひらめきが多数に見えた。壁の破れ穴、板戸の節穴。眼に有らざるは無しであった。村を挙《こぞ》って今日の珍客を見物に来ているのと知れた。中には階子《はしご》を掛けて軒口から見るのさえあった。
その眼にも様々あったが、爛《ただ》れ目が殊に多かった。冬籠りに囲炉裡《いろり》の煙で痛めたらしかった。その多くの汚い眼の中に、壁の際の、そこには、木鼠《きねずみ》の生皮《いきがわ》が竹釘で打付けてある、その上部の穴からして、ジッとこちらを凝視している一つの眼。それは別段大きくはないのだけれど、いやに底光りがして、何とも云えない凄味《すごみ》が差すのであった。その怪しき眼と直芳との眼とがバッタリと見合った時には、直芳は思わずゾッとして、怪しき無形の毒矢にでも、射込まれたような気持を感じたのであった。
それで急いで反対の方を見た。そちらの壁には、蔭乾《かげぼ》しにと釣り下げてある山草花の横手から、白露の月に光るが如き涼しく美しき眼の輝きが見えた。若き女性《にょしょう》と直覚せずにはいられなかった。あの浴泉の美女ではないだろうか。どうもその様に思われてならなかった。
壁を透かして雪の肌が浮出すかのように感じられて、直芳は恍惚たらずにはいられなくなった。
三
大炊之助は家重代の宝物、及び古文書を出して、勝国手に見せるのであった。いずれも貴重なる参考物なので、念入りに国手は調べ出した。
「この間に近所の見取絵を作りとう御座りまする。暫時失礼致しまする」
「ああ、それは宜しかろう」
直芳はただ一人で屋外に出た。そこに村人は集まって、乾した股引《ももひき》脚半の小紋或いは染色《そめいろ》を見て、皆々珍しがっているのであった。
家数昔は五十戸有ったが、今は二十戸という、その割には人の数の多いのに驚かれた。男は麻布の短き着物、女子《おなご》は紺の短き着物、白布の脚布《きゃふ》を出していた。髪は唐人風の異様に結んであった。最前の浴泉の美女はこの中にいないかと、直芳は注意して見たけれど、どうしても見つからなかった。
従者頭の中老人(佐平《さへい》という)に向って直芳はささやいた。
「今日まで絵にも見た事のない美しい娘を見つけ出した。なろう事なら妻にもらい受けて、江戸へ同伴致したい」それが串戯《じょうだん》とも思われなかった。
「それはとてもむつかしい事で御座りまする。この里からは女を一歩も踏み出させぬ昔からの定法で御座りまするで」と従者頭の中老人は答えた。
「それでは、この土地へ入婿に来たいものじゃ」
「それも駄目で御座りまする。他土地の者は、決して入れませぬ」
「ああ、それでは、どうする事も出来ぬのかなァ」
絶望した直芳は、村人が後《うしろ》から付いて来ぬように、ソッとこの家の庭を出て、森中から岩山へと登って見た。中腹には名
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