でなくは切支丹《きりしたん》ではないかと、韮山《にらやま》で興行の折は、江川太郎左衛門《えがわたろうざえもん》様の手代衆が一応お調べになりまして、確かに魔法|妖術《ようじゅつ》ときめて、既に獄門にもなろうとしましたのを、江川の旦那様がお聞きになりまして、再お調べで、その時申開きが立って放免になりましたという。まことに珍らしい芸人でござりました」とくわしく説明した。
「ふむ、それを当村でも先月掛けたのだな。豊年祝としてなァ」と純之進は凶作を言立てられぬように釘を刺した。丹那村の者は皆苦い顔をして項垂れた。
その中にヒョイと一人、面《おもて》をもたげて、さも嬉《うれ》しそうに、ニヤニヤと笑った者があった。それを見た純之進は、ゾッとした。これぞ一昨日《おととい》箱根の国境から見え出した謎《なぞ》の男。昨日《きのう》山路に掛ってから、駕脇《かごわき》に幾度となく近よって物云いた気にした者であった。
今日こそはこっちから話しかけて見ようと構えたけれど、鎮守の社内を出てからは、もう見えなかった。
この日は丹那だけの巡検で終り、再び山田家に泊ったが、またしても夜半に昨夜と同じ夢を見て唸された。高島田の娘が、縛られた様をしては泣くのであった。これはどうも部屋に祟りがあるのだろうと、そういう迷信を起さずにはいられなかった。しかるに翌日は田代村を巡検して、それから長崎村に廻り、ここの吉左衛門《きちざえもん》という庄屋の家に一泊したが、この日も同じく謎の男が駕の近くに出没した。それのみならず不思議なのは、ここでも又前夜と同じ様に、高島田の娘の夢を見た。すると山田の家にのみ祟るとは思えなかった。
「何か拙者に訴えるところでもあるのなら、遠慮なく申せ。聞いて遣わそう」それだけ云おうとしても喉に詰って、その苦しみで又うなされた。毎夜毎夜同じ夢を見つづけるのは、全く怪しい限りであった。
四
怪しい二つの事件は、どこまでもないまぜに続いた。次ぎの日の巡検にも、純之進の目にのみ月代の土気色をした若者の姿は見えた。その夜神益村の庄屋|武左衛門《ぶざえもん》の家でも、高島田の娘は行燈の影に坐って泣いた。
その明くる日は洞道越《ほらみちごえ》という難所を通って再び丹那の山田家に帰り、これでほぼ巡検の任務を果したのであった。
大勢はすでに定まった。今度の役人に賄賂《わいろ》は利
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