》が何を云うんだい。私という女ながらも大親分に、じかに口が利けるもんか。黙って引込んでいやあがれ」と、お鉄は突如《いきなり》小虎を突飛ばした。
転んだ小虎は古杭で、横腹を打って、顛倒《てんとう》した。それをお鉄は執念深くも、足蹴《あしげ》にして、痰唾《たんつば》まで吹掛けた。竜次郎はつくづく此お鉄の無智な圧迫に耐えられなく成った。この女と一緒にいては、迚《とて》も一生成功は見られぬと考えた。けれども今更|如何《どう》する事も出来なかった。
「や、もう江戸行は止《よ》す。是《これ》から阿波へ帰る。其上で身の潔白を立てよう。兎に角、衣類を」と云った。
お鉄が喜んだ事は一通りでなかった。
「これ此通り。ちゃんと私が持っている。さあ風邪を引くと悪い。早くお着きなさいよ」
子供の湯上りに母親が衣類を着せるようにして着せ掛った。竜次郎が小刀を、下帯から抜いて、路傍《みちばた》に置いたのは勿論で有った。
それを倒れていた小虎が密《そっ》と取った。抜くや、突然《いきなり》、お鉄の横腹へ突立てた。お鉄の悲鳴は唯一声であった。
「女の意地ですわ。私だって竹割り小虎。さあ旦那様、江戸までお供致しましょう」
血刀をお鉄の袖で拭いて、元の鞘に納めて返すので有った。
迚《とて》も一通りや二通りで、解決の着くべき問題では無かったのを、小虎の為に簡単に捌《さば》かれたので有った。竜次郎は唯只運命の奇なるに驚くのみで有った。
* * *
明治中期まで警視庁第一の捕物老刑事として名の高かった○○○○○氏こそは、この磯貝竜次郎の後身なので有った。其前の妻女は正しく小虎で有ったが、それは明治初年に病死したという。竜次郎が陣風斎から、八方巻雲の秘伝を授かったか如何《どうか》か。それに就ては遺憾ながら伝わらぬ。
底本:「怪奇・伝奇時代小説選集1 水鬼 他9編」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年10月20日第1刷発行
底本の親本:「講談倶楽部」
1925(大正14)年11月
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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