た。
「生縄のお鉄は男の捕物に掛けては天下一で、あれに捕ったら往生だ。罪の有る無しは話には成らぬ。世にも不思議な拷問で、もう五六人は殺されたろう。阿波の高市《たかまち》に来た旅役者の嵐雛丸《あらしひなまる》も殺された。越後《えちご》の縮売《ちぢみうり》の若い者も殺された。それから京《きょう》の旅画師に小田原《おだわら》の渡り大工。浮島《うきしま》の真菰大尽《まこもだいじん》の次男坊も引懸ったが、どれも三月とは持たなかった。あれが世にいう悪女の深情けか。まさか切支丹《きりしたん》破天連《ばてれん》でも有るまいが、あの眼で一寸睨まれたら、もう体が痺れて如何《どう》する事も出来ないのだそうな」
 斯《こ》うした噂《うわさ》は至る処に立っていた。
 とは知らぬ磯貝竜次郎、武者修行に出て利根の夜船に乗った時に、江戸帰りのお鉄と一緒で有った。年齢《とし》は既に四十近く、姥桜も散り過ぎた大年増。重量は二十貫の上もあろう程の肥満した体。色は浅黒く、髪の毛には波を打ったような癖が目立って、若《しか》も生端《はえぎわ》薄く、それを無造作に何時《いつ》も櫛巻きにしていた。鼻は低く、口は大きく、腮《あご》は二重に見えるので有ったが、如何にも其眼元に愛嬌が溢《あふ》れていた。然《そ》うして云う事|為《す》る事、如才無く、総てがきびきびとして気が利いていた。若い時には斯うした風のが、却《かえ》って男の心を動かしたかも知れぬのだ。
「大杉様へ御参詣なら、是非手前共へお立ち寄りを」
 押砂河岸《おしすながし》で夜船を上って、阿波村に行く途中の蘆原《あしはら》で、急に竜次郎が腹痛を覚えた時に、お鉄は宛如《まるで》子供でも扱うようにして、軽々と背中に負い、半里足らずの道を担いで吾家に帰り、それから親身も及ばぬ介抱をして呉《く》れたまでは好かったが、其儘《そのまま》一歩も外に踏出させぬには、此上も無い迷惑なので有った。
 竜次郎の腹痛は直ぐ治ったが、折角元の健康に復したのも、二日か三日で又衰え始めて、されば、何処が不良という事無しに、唯ぶらぶらの病に均しく、腑抜けのように日を暮らしていた。月代毛《さかやき》も延びた。顔色も蒼白く成った。眼の窪んだのが自分ながら驚かれるので有った。正しく妖魔の囚虜《とりこ》と成ったので有った。
 今日こそはと大勇猛心を出して、お鉄の不在を幸いに、裏庭から崖を降りて稲田伝い
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