ますが、一緒に巡業に歩いています師匠は竹割《たけわ》り虎松《とらまつ》、その又師匠は竹割り虎太夫《とらだゆう》と申しまして、此道の大師匠で御座います」と娘は初めて身の上を打明けた。
「ほう、竹割り一座というのは聞いていた」
「虎太夫は中気で、本所《ほんじょ》石原《いしはら》の火《ひ》の見横町《みよこちょう》に長らく寝ていますが、私は此大師匠に拾われました捨児で、真の親という者を知りませんのです。私には大師匠夫婦が生《うみ》の親も同然。お神さんの方は先年|死亡《なく》なりまして、今では大師匠一人なんですが、今の師匠の虎松は、実子で有りながら、どうも邪慳《じゃけん》で、ちっとも大師匠の面倒を見ませんので、私は猶更《なおさら》気の毒で成りません。夢見の悪さがつづくので、江戸へ見舞に帰るとしても、そんな事で私を手放すような虎松では御座いませんから、私は密《そっ》と抜け出して来たので御座います。江戸崎《えどざき》の興行先からでは、此方へ廻っては道が損かも知れませんが、行方を晦ますのに都合が好いものですから」
この小虎の物語で、すべての疑問が解けたので有った。頭髪《かみ》と扮装《なり》との不調和も、芸人の脱走としては、有り得る事と点頭《うなずか》れた。
「や、拙者も同じく剣道の師匠の身の上を案じてだ。兎に角互いに急ごう。秋の日は釣瓶《つるべ》落しとやら。暮れるに早いで、責《せ》めて布川から布佐への本利根の渡しだけは、明るい間に越して置きたい」
「此辺は水場で、沼とか、川とか、堀割とか、どちらへ行っても水地ばかり、本利根へ掛る前に、未だ新利根の渡しも御座います」
「おう、新利根の渡しは、もう直きだなあ」
寛文《かんぶん》年間に、蚕飼川《こかいがわ》から平須沼《ひらすぬま》へ掛けて、新たに五十間幅に掘割られた新利根川。それは立木《たつき》の台下《だいした》に横わっているので有った。
程もなく二人は其|渡頭《わたし》にと辿《たど》り着いた。此辺は誠に寂しい処で有った。台下にはちらりほらり、貧しそうな農家は有るが、新利根川|端《べり》には一軒も無く、唯|蘆荻《あし》や楊柳《かわやなぎ》が繁るのみで、それも未《ま》だ枯れもやらず、いやに鬱陶《うっとう》しく陰気なので有った。
此所《ここ》の渡しというのは、別に渡し守がいるのではなく、船だけ備えて有るばかりで、世に云う手繰り渡しに成
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