放し、銘々その一片|宛《ずつ》に所持する事にして、万一石見守不慮の死を遂げた場合に、その切図を皆々持寄り、元の如く継ぎ合せて、隠し場所を見出すという仕掛けじゃ。一人一人、自分の隠した処を知っていても、他の者の処は知らぬので、左様に取極《とりき》めたのは石見守の智慧《ちえ》じゃ。そうして切図は薄い油紙に包み、銘々印籠の二重底に隠し置くという、これもその時の申合せじゃ。そうして置いて陰険な石見守は、腹心の者を一人ずつ、毒殺、或は暗殺など致して退《の》けた。三増峠の老人は、中途で、それを覚ったので、慌だしく九州路に逃げ延びて、命だけは取留めていたという」
「その石見守は疾《と》くに死去なされました筈」
「おう、慶長《けいちょう》十八年四月に頓死したが、本多上野介正純《ほんだこうずけのすけまさずみ》が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに闕所《けっしょ》に致し置き、妾《めかけ》を詮議して白状させ、その寝所の下を調べさしたところが、二重の石の唐櫃《からびつ》が出て、その中に又黒塗の箱が有り、それには武田家の定紋染めたる旗|一旒《いちりゅう》に一味徒党の連判状、異国の王への往復書類などが出たとある。
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