行される。五日には大神事として、八基の神輿が暗闇の中を御旅所《おたびしょ》に渡御とある。六日には御田植があって終るので、四日間ぶっ通しの祭礼を当込みに、種々《いろいろ》の商人、あるいは香具師《やし》などが入込み、その賑《にぎ》わしさと云ったらないのであった。
源八郎は番場宿《ばんばじゅく》の立場茶屋《たてばぢゃや》に入って、夕飯の前に一杯飲むことにした。客はほとんど満員の有様なので、ようやく庭の隅の方の腰掛に席を取った。
「肴《さかな》は何があるな。甲州街道《こうしゅうかいどう》へ来て新らしい魚類を所望する程野暮ではない。何か野菜物か、それとも若鮎《わかあゆ》でもあれば魚田《ぎょでん》が好《よ》いな」
「ところがお侍様、お祭中はいきの好い魚が仕入れてございます。鰈《かれい》の煮付、鯒《こち》ならば洗いにでも出来まする。そのほか海鰻《あなご》の蒲焼に黒鯛《かいず》の塩焼、鰕《えび》の鬼殻焼《おにがらやき》」
「まるで品川《しながわ》へ行ったようだな」
「はい、みな品川から夜通しで廻りますので。御案内でもござりましょうが、お祭前になりますると、神主様達が揃って品川へお出《い》でになり、海で水祓《みそぎ》をなさいまして、それから当日まで斎《いみ》にお籠《こも》りで、そういう縁故から品川の漁師達も、取立ての魚を神前へお供えに持って参りまするが、同じ持って行くのならたくさん持って行って売った方が好いなんて、いつの間にやら商売気を出してくれたのが、私達の仕合せで、多摩《たま》の山奥から来た参詣人《さんけいにん》などは、初めていきの好い魚を食べられるなんて、大喜びでございます」
「そう講釈を聴くと江戸では珍らしくないが、一つ海鰻を焼いて貰って、それから鯒は洗いが好いな。まあその辺で一升つけてくれ」
「一升でございますか」
「いずれ又後もつけて貰う。白鳥《はくちょう》で大釜へつけて持って来い」
「へえへえ」
小机源八郎は長沼の内弟子。言って見れば今の苦学生だ。金は無いのだ。ところが今日は暗闇で旗本六人が鼻をそがれた敵討というので同門から金を集めてくれたので、大分|懐中《ふところ》は温かいのだから、大束《おおたば》を極めて好きな酒が呑めるのであった。
隣りの腰掛で最前から、一人でちびりちびり、黒鯛の塩焼で飲んでいる旅商人《たびあきんど》らしい一人の男。前にも銚子が七八本行列をしているのだが、一向酔ったような顔はしていなかった。色は青味を帯びた、眉毛の濃く、眼の鋭い、五分《ごぶ》月代毛《さかやけ》を生《はや》した、一癖も二癖もありそうなのが、
「お武家様、失礼ながら、大分御酒はいけますようで」と声を掛けた。
「いや余計もやらぬが、貧乏世帯の食事道具|呑位《のみぐらい》のものじゃ」
「へえ、貧乏世帯の食事道具呑……聴いたことがございませんな。それはどういう呑み方でございますか」
「金持の道具では敵《かな》わぬが、貧乏人の台所なら高が知れておる。それに一通り酒を注《つ》いで片っ端から呑み乾すのだ」
「へえ、それでは、まあ茶碗に皿、小鉢、丼鉢、椀があるとして、親子三人暮しに積ったところで、大概知れたもんでございますな。手前でもそれなら頂けそうでございます」
「ところが、拙者は茶碗や皿などは数には入れておらん。いくら貧乏世帯でも鍋釜はあるはず。それまで一杯注いで置いて呑む」
「こいつあ恐れ入りました」
まさか小机源八郎、それ程呑めもしないのだが、座興《ざきょう》を混ぜて吹飛ばしたのだ。
話が面白くなって酒も大分はずんで来た。
「や、拙者は当所の御祭礼は初めてだが、なんでも昨年は、暗闇の間に、余程奇怪な事が行われたと申すが、それはほんの噂に過ぎぬのか。それも本統にあった事かな」
源八郎はこの旅商人が去年の祭にも来ていたというのからして、探りを入れて見たのであった。
旅商人は少し真面目《まじめ》になって、
「旦那のお聴きになったのは、どんな出来事でございましたね」と問い入れた。
「されば、なんでもどこかの侍が数人とも顔面を何者にか知れず傷つけられたと申す事で」と明白《あからさま》には源八郎云わなかった。
「や、それは私として、初耳でございますが、私の聴きましたのは、ちっと違いますので」
「どんな話か、肴に聴きたいもんだな」
そう云いつつ、猪口《ちょこ》代用の茶碗をさした。
三
旅商人は四辺《あたり》に気を配り、声を低めて、
「実は旦那、去年には限りません、毎年この暗闇祭には、怪しい事があるんでございますよ。ですが、それをぱっとさせた日には、忽ちお祭がさびれっちまうので、土地の者は秘し隠しにして居りますがね。昨年のはちっと念入りでございましたよ。女がね、お臀《しり》の肉を斬られたんでね。なんでも十二三人もやられたらしいんで。
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