《ふな》饅頭だッけなア」

       二

 そこへ中間《ちゅうげん》の市助が目笊《めざる》の上に芦の青葉を載せて、急ぎ足で持って来た。ピンピン歩く度に蘆の葉が跳ねていた。
「やア市助どん、御苦労御苦労。何か好い肴が見附かった様だね。蘆の下でピンピン跳ねているのは、なんだろう」と宗匠は立って行った。
「海※[#「魚+喞のつくり」、第3水準1−94−46]《かいず》ですよ。一枚切りですが、滅法威勢が好いので……それから石鰈《いしがれい》が二枚に、舌平目《したびらめ》の小さなのが一枚。車鰕《くるまえび》が二匹、お負けで、二百五十文だてぇますから、三百置いて来たら、喫驚《びっくり》しておりましたよ」
「じゃア丸で只の様なもんだ」
 嬶さんは口を出して。
「あれまア、二百で沢山だよ、百文余計で御座いますよ」
「一貫でも、二貫でも、江戸じゃア高いと云われないよ。何しろこのピンピンしているところを、お嬶さんどうにかして貰えないだろうか」
「一寸|家《うち》まで行って、煮て来ましょうで」
「お前の家まで煮に帰ったのじゃア面白く無い。ここで直ぐ料理に掛けるのが即吟《そくぎん》で、点になるのだ。波の花が有るなら石鰈と舌平目は、塩焼にして、海※[#「魚+喞のつくり」、第3水準1−94−46]《かいず》と鰕を洗いというところだが、水が悪いからブツブツ切りにして、刺身で行くとして、紫は有るまいねえ」
「別当さんのところへ御無心に行って参りましょう」
「そうして貰おう。御前《ごぜん》、愚庵《ぐあん》の板前をまア御覧下さい」
 この宗匠、なんでも心得ている。持参の瓢酒《ひょうしゅ》で即席料理、魚が新鮮だから、非常に美味《うま》い。殊に車鰕の刺身と来たら無類。
「魚は好し、景色は好し、これで弁天様が御出現ましまして、お酌でもして下さると、申分は無いのだが……」と宗匠は早や酔って来た。
「この上申分無しだと、どこまで酔うか分らない。そうしたら江戸まで今日中には帰られまい」と若殿は未だ真面目《まじめ》であった。
 茶店のお嬶はこの時口を出して。
「お客様、羽田には弁天様よりも美しいという評判娘がおりますでねえ」
「へえ、そいつは何よりだ。琵琶の代りに三味線でも引いてくれるかね」と市助も少々酔っていた。
「いえ、そんな意気筋の女では御座いません。船頭の娘ですがね」
「船頭の娘なら、頓兵衛《とんべえ》の内のお船《ふね》じゃア無いか。矢口《やぐち》もここも、一ツ川だが、年代が少し合わないね」と宗匠は混ぜ返した。
「お客様、お酒のお相手にはなりませんが、これから川崎まで船をお仕立てなさいますと、その娘がお供致しますよ」
「女船頭か」
「左様ですよ、大師様へお参りなさるなら、森下《もりした》まで行きます。それから又川崎の渡し場まで入らッしゃるのなら、お待ち申しておりますよ。八町畷《はっちょうなわて》を砂《すな》ッ塵《ぽこり》でお徒歩《ひろい》になりますより、矢張《やっぱり》船を待たして置いてお乗りになれば、この風ですから、帆も利きます、訳無く行って了《しま》いますよ」
「成程なア、それは妙だ」
「川崎の本街道へお出ましになれば、馬でも、駕《かご》でも御自由で……」
 今なら電車も汽車も自動車もと云うところだ。
「いよ、それに限る。それで弁天様よりも美しい娘なんだな」
「左様で御座いますよ。色は少し黒う御座いますがね」
「それはどうも仕方が無い。御前、如何《いかが》です、そう致そうじゃア御座いませんか」
「美人はともかく、船で川崎まで溯《のぼ》るのは思いつきだ。早速、その用意をして貰おう」

       三

 お嬶《かみ》が呼びに行ったが、間もなく帰って来て、
「じきに参ります。船をここのすぐ下まで廻させます。お値段のところは、お分りになっている旦那方ですから、わざッと極めて参りませんでしたから、そこは宜しい様に……」
「や、魚の買振りで、すッかり懐中《ふところ》を覗《のぞ》かれたね。その分で茶代もハズムと思っていると大当違《おおあてちが》いだよ」と宗匠は引受けて弁じ立てた。
 そこへ早や一隻の荷足《にた》り船《ぶね》を漕いで、鰕取川《えびとりがわ》の方から、六郷《ろくごう》川尻の方へ廻って来るのが見えた。
「あれだな」と若殿が扇子で指した。
「左様で。あれで御座います、近くなる程綺麗に見えます」
「遠くでも光って見えるね」と又しても宗匠が口を出した。
「あの艪《ろ》を漕ぐ腰ッ振が好う御座いますね」と市助までが黙ってはいなかった。
「あなた方、前以てお断りして置きますが、あれで色気と云ったら些《ちっ》ともありません。冗戯《じょうだん》が執拗《しつこ》いと直き腹を立てまして、なんでも、江戸の鳶《とび》の衆を、船から二三人|櫂《かい》で以て叩き落したと云いますからね。
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