垂れこめたなかには、鼠取の仕掛けになっていて餌に、触るたびに上から落ちてくる豚に河豚は頭を挟まれてしまうのである。
 4 アラビア丸――怪奇な青色の女、デッキ・ゴルフ、七色の弾丸のような意志が接触する。広東《カントン》人の用心深さが麻雀《マアジャン》、私から一千|弗《ドル》をサルーンから投出してしまった。黄海は日本の駆逐艦《くちくかん》のマストが見える、夜は外人達によって舞踊会は傾いた部屋を旋回している。私は新義州《しんぎしゅう》の商人と将棋をするのだった。

 赤色旗|飜《ひるが》える下、さすが悪い気持ちではない。いまでは少数の帝政派も日本に駆逐されてしまって新にバイカル湖畔から輸送された泥人形と、コーカサス遺族達によって世間は私に怠惰《たいだ》と、大陸的な新浪漫主義を沁みこましてしまった(将軍BARでさえ農民と職工によって占領されてしまったのだ。)
 私は憂愁もなく感動も刺激さえも失われてしまって、写真館と駄菓子を売る街をひたすら歩くのだった。市民は思い出すたびに役にも立たぬ仕事に営々として働いた。思えば彼等は他人を策動することさえ忘れてしまったようだ。地上には無数の長靴と空間には驢馬《ろば》が犇《ひし》めいていた。新らしく創設された図書館の書棚はプロレタリアの童話とマルクス学の書簡によって占められていた。またマヤコフスキーとレーニンとピリニヤーク、パステルナックの、新刊書で埋れた。イリヤエレンブルグを人々は狂人だと云っていた。
 こうして街は青々と緑に包まれて私は夜毎旗亭ダリコントに馬車で通った。ここで私はロシア煙草と火酒《ウオッカ》と世界の新聞を読んで一日を暮した。しかし偶然はアンナ・ニコロ、私をみて無意味にわらいだした。

 この彼女の可笑《おかし》さが未来の幾年かを空虚なものにしてしまうのだ。まるで音響のないユダヤ人の才能のように危険なものであった。私がアンナ・ニコロのわらいについて幾日間を考えあぐむ、遂にそれは私に対する愛の象徴だと思うのであった。(私は今では瓦斯《ガス》広告のように朦朧《もうろう》とした認識不足に陥っていった)私は毛氈《もうせん》のような花束とアンナ・スラビナには英雄の手本という好色本を贈ったのだが、それはスラビナの称讃を得たに過ぎなかった。
 こうして私は青空のない恋に浮身をやつした。
 ――アンナ・ニコロ、僕は並々ならぬおしゃれなのです。厚化粧した二人の踊り部屋、貴女が私にその許可証を渡さないときは僕はウラジオストックの海に果てたいのです。
 ――ヨシユキ、貴男《あなた》の戯談《じょうだん》は私達の国では貴族しか云わなかったのです。それにいまでは貴族は殺されてしまうし、私はボルシェヴィズムの女なのです。
 アンナ・ニコロに私は再び遅刻してしまう、恋の貉《むじな》は何故、さまで苦しむのか。
 ――僕はバルチックの軍艦に結婚を申込む、アンナ・ニコロ、今頃はモスクワの政治委員もアンナ・スラビナも昼寝をむさぼってる時間なのです。
 ニコロは生れがいいので気儘《きまま》で運命には従順な女なのだが、ブルジョアが滅んでからというものは信仰は痛快にも焼払われてしまった。
 ――妾《わたし》が真面目な女だものだから、結婚するには政府の許可が必要です。それに東洋人の薄情犬も喰わないのです。

 アンナ・スラビナ、三個のスイス製のトランクを開いてみて、彼女は涙ぐむのであった。スラビナの勲章哀れにも売られてしまって、彼等三人の外国人が支那へ兵隊に買われて行かねばならぬ。現在では帝政の紙幣が一文の価値もない。アンナ・ニコロの発育とともに消えてしまった。
 ――ヨシユキ、妾一人が幸にはなれないのです。露西亜《ロシア》の女が各国で乞食と売春と恋慕のために深い忍耐力を養っている間妾一人が堅気《かたぎ》にはなれないのです。
 ――アンナ・ニコロ、貴女もまた運命を苛酷に取あつかう女の一人なのです。
 スラビナがわめいている、三人の外国人の腕の中で、アフガニスタンの山脈のような胴体をつねられて悲しみは赤く腫《は》れあがってしまった。支那の黄色の液体が戦線の雇兵《ようへい》に青いスラビの唇、大砲が走る。追いかけ呼びもどして三人の見事な口髭《くちひげ》、銀色の呼吸を流して、年増女の深い思いが高潮に達したときニコロは私の白いワイシャツの皮膚に彼女の眉墨《まゆずみ》でもって、レニングラードに向かって驀進《ばくしん》する機関車と食用蛙を描いて東洋人が彼女の未来の夫であることを象徴するのであった。不幸なことに北海から税関をかすめて密輸入される鮭類と黒狐の肉は腹を満たすためには四十|法《フラン》が必要なので、アンナ・ニコロはスラビナに食欲さえ感じて黙ってしまうのだが、それにも拘《かかわ》らず私は現代のロシアの気狂い染みた歴史家の記録が純粋な女性の愛情まで資本家に身売りしていることが分るのであった。
 窓の外にはネオ・アクメイズの姿がプロレタリアの肉体を蝸牛《かたつむり》のように這っている。アンナ・ニコロ接吻したまま、
 ――ヨシユキ、ロマンチシズムとヒロイックなスラビナの時代はまだロシア人は香のいい肥料があったのです。妾達の祖先が献身的であったころ、アルチバセフの快楽主義にさえ身顫《みぶる》いしたロシア婦人は欧羅巴《ヨーロッパ》スタイルの淫事も、寝床で踊る未来派の怪奇も、断髪にする苦痛さえもなし、公爵婦人の名誉さえ瞬間に地に葬ったのです。
 ――ニコロ、敬虔《けいけん》、僕の思いも過ぎ去った恋物語りです。
 ああ、妾が貴男を思っている。無産階級の靴音にも増して力づよく慕しい。
 ――僕の心意気、見してやる。白薔薇のような花嫁に。
 私達戸外に這い出す。青い絨氈《じゅうたん》の上を鏡のない人間が歪んだシルクハット、胸は悲しい葬《とむらい》だ。心行くまで私はお前を熱愛したのだ。けれど感覚の最期がいたましい。カバレット・ポンペアの低い嬉びに、世界各国の鶏《にわとり》の歌奏でるユダの主人、私はシャンパン、緑色の天井、進撃勇ましい、桃色の月、見上げて、十人のコウカサスの女に接吻する。
 シャンパンおごる私は得意だ。なんと云っても現代は資本主義肯定する。加護のために、私未来のプロレタリア否定する。
 ジャズ・バンド、マルセル・シュオブに似たセロ弾き、グロテスクな洋服師思い出すボンベイの過去、いまではロシアで苦心|惨憺《さんたん》アンナ・ニコロを祝福して、私は最期迄知ってしまう。
 瞬間の嬉びが永遠に悲しみとなってしまう、チャイコフスキーの狂気音楽がかくまで近代を支配する。ワルツ、タレルキンの心臓、ニコロの青蛇のような首抱いて、私は踊る。いまや狂気の沙汰、音楽師、ピアノの波が尼僧呼びよせる。アフリカの砂漠を進出するモスクワの夜の娘、驚歎した私踊りながら黒い両足が、ニコロの太腿を包囲して、混乱した男女の頭脳に、メゾ・ソプラノの鼻歌が巻きついてくる、私ニコロの前に日本紙幣束にして棄ててしまった。
 思えば流行歌。アンナ・ニコロが私を引ずって矢鱈《やたら》に接吻する。愛の聖歌奏でて旋転する夢路たどっているようだ。苦もないアンナ・ニコロ私に身を委せながら。階段、万国の男女が酔いどれてはやしたてる。Aは緑、B C D E Fソヴエット・ロシアの彫刻された遊園地には早くも新らしい帝政時代の地図がかかっている。
 私達階廊昇りつめると、そこにはデーマン大佐の専制。公園から吹き来る風に音もなく扉《ドア》が明滅するのであるがそのたびに、波高い鏡に映る危険な寝床に橋がかかっていた。



底本:「吉行エイスケ作品集」文園社
   1997(平成9)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「吉行エイスケ作品集※[#ローマ数字1、1−13−21] 地図に出てくる男女」冬樹社
   1977(昭和52)年9月30日第1刷発行
※底本には「吉行エイスケの作品はすべて旧字旧仮名で発表されているが、新字新仮名に改めて刻んだ。このさい次の語句を、平仮名表記に改め、難読文字にルビを付した。『し乍ら→しながら』『亦→また』『尚→なお』『儘→まま』『…の様→…のよう』『…する側→…するかたわら』『流石→さすが』。また×印等は当時の検閲、あるいは著者自身による伏字である。」との注記がある。
入力:田辺浩昭
校正:地田尚
2001年2月19日公開
2009年3月23日修正
青空文庫作成ファイル:
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