うと思うのです。

     2

 部屋にかえると私は壁の黄色いボタンを執拗《しつよう》に押えつけて印度女の乱暴さをのろうように苛酷に一瞬間を指の先に約束する。次の瞬間私が青い窓から近東の藍色の空を眺めていると電流にのってアダがあらわれてきて、私の夜会服に一輸のネムの花をさすのであるが、忽ち私には彼女がマルセーユの金羊毛酒場《トア・ズン・ドル》の素足の美しい踊姿となって女の耳元で、おい、Y、今晩おれにつきあえよ、と囁《ささや》く追想の女となるのであった。
 マルセーユの夜の酔泥れた女騎兵士官の寝床、売春婦の体温が軍服に滲《し》みでて、私が彼女が卒倒しない程度で号令をかけるのだが、たちまちアダが軍帽の下にクレオンで愛情を描くと、卵色の口を開いて作り声を出すと、ねえ、つきあえよ、Y。妾《わたし》の愛情、赤いポストにするまで。と、味噌歯《みそっぱ》を出してわらったのだが、金羊毛の舞踊室から無頼漢《ぶらいかん》の礼讃を象徴するような意気で猥雑《わいざつ》なタンゴが響いてくると、急に奔放な馬のような女となって、
 ――Y、おれはお前が好き、お前なしでは生きていられぬ妾の生命、と、なまめかしく云うのであった。仮装舞踊会のように私は日覆《ひお》いして夜の明けるのを待ったのだが、タンゴの太い曲線が寝床の夢を誘うように、彼女が夢のなかで、
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宵闇《よいやみ》せまればレジエント街の並木道を
満艦飾の女が馬車で
カールトン・バアで卸して頂戴ネ
と馭者《ぎょしゃ》に云う
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 と、低唱しながら屡々《しばしば》、ちえ! 田舎医者奴! と繰りかえして寝言を云うのであった。また、大切なところで彼女は東洋の霊のような鼾《いびき》をかいて寝てしまうのだが、私は彼女の肉体に金羊毛酒場《カバレット・トア・ズン・ドル》の女としてふさわしくないところがあるのに気付くのであった。そのカバレット・トア・ズン・ドルの淡い憶《おも》いがネムの花に夢のように、あらわれるのだが、彼女は何もかも知らぬふりをして、私の用事を待つ、それが英国種の牝犬のように無関心な顔をして、その実細心なデコルテを内にかくしてかしこまっている。よんどころなく私はシネマの伴奏のような諷刺的な説明をはじめた。
 ――やあ、アダ。僕はマルセーユから催眠酒をのまされたような意識を失って近東行の急行列車に乗ると昏々《こんこん》とマホガニイの寝台でフロレンス辺まで吊されていたらしいのだ。伊太利《イタリー》女の堅気な臭にふと眼が覚めると廊下でフランス人の車掌とイタリー人の官憲とが僕を指して僕のワイシャツに僕のフランスの港の生活が絵のように書いてあると云ってわらっているのだ。そして、僕を支那の北方の商人だろうと云っているのだ。南京方面の商人が前後不覚でマルセーユからベニスあたりまで寝ているなんてことはあり得ないことですからね。てっきり僕は北方の田舎者だと思われてしまったのです。で僕はむくむく起きあがると贅六《ぜいろく》らしくだらしなく身繕《みづくろ》いして、そっと自分の服装を見たんだが、カバレット・トア・ズン・ドルの歴史がべたべたそのまま張られているのに気がついたのです。金羊毛の踊子の白粉《おしろい》が夜会服のシルレルに、アドリア海にも似た陸地の汚点をつくっていると、シルクハットには女の腕に巻いた跡が緑色のリボンをつけてはねかえっているのです。胸当はとみるとセバのシャンパンで死海の水で洗濯したように波立っているのだが、胸当の間には東洋の女の唇の跡が朝顔の花がしおれたように残っているのです。
 ――しあわせなことに汽車がブルガリア領に入れば商人は伊太利人の武士気質に禍《わざわ》いされなくて思うままに我意を通すことができるのです。僕は着ていた猫の舌で一杯の衣服を脱いで、しかつめらしく恋の密輸入物をトランクにしまうと一寝入りするつもりで車窓からボスニヤ平原に咲く砂糖黍《さとうきび》の花の香《にお》いを嗅いでいるうちに、すっかり追想的になってしまったのだ。汽車が土耳古《トルコ》に這入ると車中の美しい女はみんなばたばた下車してしまって孟買までの通しの切符を持った英国人の布教師の博物館のような顔と、目に見えて黒いものが車室にふえてくるのです。ボスボロス海峡で過去の汚いものを洗い清めて東西の国境に足をまたげ、土耳古の空を見上げたときは現代の世界が実業家によって支配されるってことが非常に僕を得意にしてケマル・パシャが尻に錨《いかり》をつけて黒海を泳ぐさまさえ可笑《おか》しかったのです。コンスタンチノーブルから乗りこんだ女実業家の数人が談論の花を咲かして、僕を勇気づけてくれたにもあるのだが僕はいまに土耳古が商工業に於ける世界の中心地にさえなると思うのです。
 ――しかしやがてイスポリの燈台を
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