秘書が私にささやく、
 ――アダと云うのは英国種の牝牛なのです。私達|孟買《ボンベイ》在住の日本人にとっては珍らしい変り種にちがいないのです。今迄私達が土人街|印度《インド》家屋の油の濃い日本女(ここに住む日本髪の女が世界中で一等醜い女だということは貴方にも直《じ》きお分りになるでしょう)以外に恋の体力をあらわさなかったのに、たとえ英国種にしろアダは水際だった、いわば我々日本人にとって彼女は孟買のエンゼルなのです。印度の恋のビリダリアの花です。
 彼があまり真剣なので私がわらい出す。すると彼は私を部屋の一隅に引張ってきて熱心に私の納得の行くように話しつづけるのであった。
 ――貴方がおわらいになるのも無理もないのですが、しかし赤丸平家は日本の独身者の集合所なのです。(孟買には若い夫婦者は皆無と云っていいのです。家庭の女には東洋の深い皺《しわ》が彫刻されたように滲みこんでいます)私達は最初土人街のネパール女のエキゾティズムに感歎するのですが、その感歎はまるで波斯《ペルシャ》をセイロンの旗立てた漁船みたいな潜航艇で潜航しているようなものなのです。次いで私達は街に出て、印度の花、欧風化された女の嬌態《びたい》、近世のパーシ女に袖を引かれて茶店に出入するのですが、私達日本の男子で印度のフラッパ女に靴の紐など結ぶように命令されて、諾々《だくだく》としているような非国民は一人だっていないのです。ですから、たとえ英国種の牝犬であろうとも近代的な同胞の女の奔放な脚をみて私達は気狂いのように騒ぐのです。
 ――土人街の日本の坊主頭から苦情は出ないのですか。
 すると彼は熱帯地の植物のような息を私に吐きかけて、
 ――どうか、なぶらないでください。私達はアダによって訓練されたいとさえ思うほどです。アダの声音は印度の夜の国境、ヒンズークシ山脈の下をアフガニスタンに向って疾走する急行列車にもまして叡智《えいち》がひらめくのです。彼女の軽快に床を踏む靴先で私達の心臓にパミルの隧道《トンネル》をつくるぐらいは訳ないことなのです。
 私が彼の興奮をさえぎって単刀直入に、
 ――アダを私に世話していただけませんか。と、切り出すと彼は熱情を鞘《さや》におさめてから冷淡に私に答えるのであった。
 ――アダは貴方のお部屋に寝床をとりに行くのです。そして貴方もまた、アダに惚々する私達同志の一人におなりだろ
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