た。こうして数刻を経た後ガロンは共産軍を組織し、陳独秀の率いた工人と苦力の暴民を合して南北の橋路に支那軍隊と衝突して河畔に対峙《たいじ》し遂に市街戦となり、各国の陸戦隊が出動して共産軍は撃退され、一時間後上海は平穏に還った。
 しかしこのあわただしい推移は単なる市街戦の終局ではなかった。この事件は洪秀全の太平天国以来[#「太平天国以来」は底本では「大平天国以来」]組織的に築かれた支那共産党の一つの滅亡であった。
 三民主義の進出とソビエット・ロシアの東方政策の破綻《はたん》となったのだ。武漢にいる、※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]演達等の同志に危機が迫り、ボロジンが南昌に去ると、唐生智は反共産となり、武漢派の共産派軍隊は楊森軍のため敗れ、夏斗寅軍は武漢の背後城外の洪山を占領して武漢政府にボロジン、ガロン等の引渡しを求めるに及んで共産分子は上海に逃れ、唐生智は南京と結び共産派にクーデターを行い、支那共産派は崩壊した。上海に於けるガロン、チルキンス、陳独秀等の赤色テロリズムの敢行によって二十世紀の支那の赤い花が散り落ちた。

 リー・シー・ツワンは広東にあって時態を先見して
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