のために、彼の商権に致命傷をうけた。必然的に銀暴落の大海嘯《おおつなみ》が全土を襲ったのだ。そのことは弱小資本主義にたいする、巨大な金融資本主義の侵略に過ぎなかったが、このことは銀本位の貨幣制度に永遠の絶望をあたえた。しかしノラは快活に自己の生活を開拓して行った。彼女は百貨店レーン・クロフォードの女店員になった。そこにはアメリカ娘も、英国娘も、そして日本娘も生活のために働いていた。ノラは一階のマーケットで彼女のエロチシズムと薄鼠色の蠱惑《こわく》で商品を粉飾した。だが、漸《ようや》く彼女の生活には貧困が訪れてきた。ノラの棲むフランスタウンの瀟洒《しょうしゃ》なバンガロウも白粉を落さなくてはならなかった。そしていつのまにかノラは支配人、ディー・ダブリュー・クロフォードの妾《めかけ》になっていた。
 没落は、[#「没落は、」は太字]百貨店レーン・クロフォードの株主総会で六七四株を代表するクロフォードは議長席について悲壮な報告をした。即ちレーン・クロフォード半期欠損額九万五千七百六十元四六|仙《セント》、これが填補《てんぽ》は前年度繰越金から二万六千九三元五一仙、株主準備金から二万元、一般準備金から五万元をもってする。欠損の主因はファーニッシング・デパートメント仕入の際、英為替二|志《シリング》三|片《ペニー》であったのが送金のとき二志以下となる。よってファーニッシング部は廃業して、南京路入口、アウトフィッチング・デパートメントの一部とともにスコッチ・ベーカリーに賃貸するに至れり。これにたいして株主の一人であるケャムペルは閉店を提議したが、これは大ブリテンの名誉のために採用にならなかった。このとき株主によって提唱された他の重大な欠損理由は不況のため高級品の販売絶無となる。支那人経営の百貨店、永安公司、新々有限公司、先施有限公司等の大デパートメントの発展による影響、さて、従業員があまり美しすぎる。
 術策は、[#「術策は、」は太字]当然の結果としてノラはディー・ダブリュー・クロフォードと別れなくてはならなかったが、これは財界における一つの悲喜劇であった。支那経済恐慌の主因をつくった英国の政策が、上海英国財閥の没落の過程をつくろうとは。だが、これはいささかの犠牲だとすればもとより小事件に過ぎなかった。ノラはクロフォードと別れるとともにレーン・クロフォードの売子でもなくなった。
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