達を案内しました。王国の賛沢な偕調《メロデー》が部屋を満たして、アングロサクソンの英諾威《えいノルウエー》人、ケント族の仏伊人、スラブの露墺《ろおう》人、アイオニアンの血族|希臘《ギリシア》人、オットマン帝国の土耳古《トルコ》人等に交って、東洋の黄色な悲劇的な顔が七分の運と三分の運命に対する己惚《うぬぼ》れをもって、千金を夢みているのです。併し、モナコに於て、零落《れいらく》したフランス貴族の復辟《ふくへき》の夢も破れてしまったのです。イスタンブールで恋人はその身を果敢《はか》なんで、死んでしまったのです。ミニオンの伊太利《イタリー》人は、路傍楽《ろぼうがく》人にならねばならぬのです。隣室からルーレットの玉の転げる音が、悪魔の囁きのように妾の耳に響いて来ました。妾達はそれに誘われるもののように立上ると、隣室の賭博場へ這入って行きました。そこでは黒百合のような貴婦人が、オペラバッグから紙幣束《さつたば》を出して、百|法《フラン》の青札を買い、二十歳にもならないしとやかな娘が、赤札に自分の運命を賭けているのです。ロダンさんは妾に数枚の赤札を買って下さいましたが、みるみるルーレット係の役人の手によって、玉の転げる音と共に消えてしまいました。だが、又しても妾は、そこで惨《みじめ》なジョージ・佐野の地獄に墜ちたような姿を見るのでした。彼は妾達には気がつかないようでした。佐野は最後の百|法《フラン》をルーレット係に渡して白札を求めているのです。それから彼は足許《あしもと》に落ちた空《から》の財布を踏んで、つかつかと賭博台《とばくだい》の前に進んで行きました。そこには三十九の無気味な機会《チャンス》が彼を待っているのです。妾は神経が昂《たか》ぶるのを抑えて、彼が持った小判型の象牙札を見詰めていたのです。佐野は血の気を失って、この世のものとは思えないほど、宗教的な顔をしていました。妾は遂に、彼が精神的な賭博を開始していることを知りました。その瞬間小判型の象牙札が投げられて、三十九の機会が賭博台から転げ落ちました。ジョージ・佐野は喪心《そうしん》して夢遊病者のように部屋から出て行きました。そして妾は、モナコの賽《さい》の目に現れる妾自身の運命に対して、不吉な予感をその時感じました。
 翌日、モナコの華美な海浜の妾達の芝居小屋は、世界各国の観衆で一杯でした。開幕前妾がひどく打萎《うちしお》れているのを見て、一座の日本女優の松子がそれと察して、ジョージ・佐野が、今日は珍らしくはしゃいで好きな場末の流行歌などを歌ってふざけていたなどと、妾に告げて呉れました。楽屋の窓から沿岸に打寄せる瑪瑙《めのう》の切断層のような波に、地中海の死んだ魚の腹が夕暮の太陽に赤く光るのが見えました。妾は急いで佐野の楽屋に這入ってみると、彼は武士姿《さむらいすがた》に扮して、鏡の前で人形のように白粉《おしろい》を真白に塗っていたのが、妾を認めると、不意にからからと空虚な笑声をたてて妾に近寄ってくるのです。妾が薄気味悪がって逃げ出そうとすると、急に妾を抱えて嫌がるのもきかないで妾に接吻しました。息詰まるような長い接吻を終えると、彼は絶望的な声を挙げて妾を突きとばしたのです。
 開幕のベルが鳴って武士芝居《さむらいしばい》が始まりました。妾は長袖の友禅を着た日本の娘姿で舞台に出ると、最初に観客席のロダンさんの顔が映りました。筋は外人の喜びそうな有りふれたもので、若い武士が変心した恋人を殺すっていうような義理と人情の絡まったお芝居だったのです。劇の調子が高まって妾の情人の哀切な心を表した舞姿に異国人が海の彼方の歌劇的な情味《じょうみ》を感じた時、若い武士になった佐野が舞台に現れました。これは美しい夢の絵巻、フォーレのシチリアの女のような東洋の可憐な乙女が古い楽園のために、恋人を捨てねばならない。死骸のように疲れた佐野の衣裳に殺気が漲《みなぎ》っています。銅像のように黙した男の呼吸が、妾の踊り姿に蜘蛛《くも》のように絡るのです。それから彼の血を吐くような哀々《あいあい》の台詞が妾の心臓にサイレンのようにひびいて、妾は佐野の為に殉教者のような気持になるのでした。沈思《ちんし》な一心がすぎると妾は心臓から心臓にかけられた剣の橋を渡っていることを知りました。ふと妾がロダンさんの座席を見ると、ロダンさんが色を失って席から立上ると、両手をあげて舞台に向い、立騒ぐ観衆をかき分けて近づいていらっしゃるのです。妾は朦朧《もうろう》とした意志に危険を直覚して、ふと佐野を見ると血の附いた刀を持って茫然と突立っていました。同時に妾は温かいものが肩から乳房にかけて洪水のように流れかかるのを感じました。妾は恐怖のために大声を挙げて叫びました。そして妾は佐野の許しを乞うような一瞥《いちべつ》を意識して舞台に倒れてしまったのです。眼の前に黒い雲のような緞帳《どんちょう》が下りて来て、佐野の姿が消えると妾は意識を失ってしまいました。

     ロダンの遺言

 数年後、欧洲大戦乱が勃発して、伯林《ベルリン》にあった妾は一座を解散して、単独でムウドレのロダンさんのお室に身を寄せました。一九一四年|独逸《ドイツ》軍はマルヌを渡って巴里《パリ》が陥り、内閣はボルドウに移ったのです。ロダンさんはロオズ夫人と妾を連れてカレー港から、ドーバーの港に着のみ着のままで避難しました。英仏海峡の難避者《なんぴしゃ》を満載した船の上で、過去の傷ましい事件が私の記億を新たにするのでした。モナコの賽《さい》の目に現れた不吉が、佐野を行方不明にしてしまい、妾は傷の癒《い》えるまでニースの赤十字病院にロダンさんの手厚い看護を受けました。傷が癒えると再びオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンのバルザックの寝巻姿のあるアトリエに妾は姿を現したのです。併し、当時妾の心の悩みは屡屡《しばしば》佐野の幻影に攪乱され、ひどく妾の心身の疲れてるのを心配して、ロダンさんは妾にモスコー行きをお薦めになりました。そこで妾はモスコーの後援者の或公爵夫人のところに当分身を落着けたのです。妾は公爵夫人の御親切で、ツアールの巨鐘《きょしょう》の殷々《いんいん》たる響きをききながら、クレムリン宮殿附近の邸宅で数ヶ月を過した或日、ロダンさんからのお手紙で、あなたの健康のよくなり次第巴里に帰って貰いたい。花子《アナコ》の首は自分の最後の作として一日も早く製作にとりかかりたい、というお言葉だったのです。妾はロダンさんのお手紙を見ると巴里に魅いられたもののように、直ちにモスコーを出発して、バルザックの寝巻姿のあるオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに帰って来ました。今や妾にとって、バルザックの像は、妾の生命だったのです。バルザック像に対する妾の信仰が唯一の佐野に対する妾の追悼でした。そして遂に妾は、妾の記憶の裡《うち》から佐野を葬ってしまったのです。
 幾年かの後、花子《アナコ》の恐怖の首は完成されました。ロダンさんは妾の魂を粘土の塊の中に、移すことに成功なすったのです。バルザック像の影を作ることが、自分の精神的な永遠を表明し、それをオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに残すことが出来たのです。「花子《アナコ》の首」は絹の小蒲団に載せて、バルザックの寝巻姿の傍におかれました。そして「花子《アナコ》の首」が完成されると、ロダンさんの製作欲と老年の力は、見る見る衰えて行きました。その後再び一座を組織した妾は、欧洲を町から町にさすらって歩いたのです。――ドーバーの港が見え出すとロダンさんはしきりにオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンの彫刻室を懐かしがって、再び危険な巴里へ帰ると云って、ロオズ夫人を困惑させていらっしゃいました。妾達がロンドンに着いて間もなく、ジョッフル将軍の智略によって、マルヌの一戦にフランス軍が大勝利を得たことをきいて、巴里に残した二つの魂に対する妾の不安はなくなりました。そしてロダンさんは伊太利へ生涯の最後の旅行をなさったのです。ロンドン停車場に於ける別離が妾達の永遠のお別れとなったのです。妾はロオズ夫人の御好意によって、現在の胡月を経営することになり、ロンドンにとどまることになりました。一九一七年一月二十八日、ロダンさんは自分の死期をお知りになったのか、オテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンのバルザックの像と花子の首の前で遺言を作成し、翌日ムウドンの食堂で今まで同棲者であったロオズ夫人と、婚礼の式を挙行なさいました。空虚になったロダンさんはロオズ夫人に短い晩年の安息所を求めたのです。一九一七年十一月十七日妾はロダンさんの死の通知を受けて、巴里へ参りました。妾が巴里に着いた時は、ロダンさんの死によって巴里はロダンさんの芸術に対する讃美が轟々《ごうごう》として世論の渦となって巻いていました。そして今や、バルザックの寝巻姿をロダン第一の傑作とする批評の論が民衆を煽《あお》って、オテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに観覧者の列が続きました。翌日ロダンさんの遺言書が発表されバルザックの寝巻姿と花子《アナコ》の首は日本女優花子に残さるべきものなり、と云う遺言書を見た巴里の市民は愕然としてしまったのです。
 妾がムウドンのロダンさんの墓を訪ねたのは、それから数日後でした。妾が自分の名前を門番の老人に伝えると、静かに門を開かれました。妾はしばしオウギュスト・ロダン氏の墓の前に跪《うずく》まって、過去のロダンさんの妾に対する深い愛に咽《むせ》び泣きました。そしてその時妾は、妾の背後に啜《すす》り泣きの声をきいたのです。それは黒衣のロオズ夫人でした。
 ロオズ夫人にお別れした妾は、当分モスコーで暮すために旅装を整えて二つの彫像を二個のトランクに入れて、巴里《パリ》停車場に車を走らせました。妾が切符売場で切符を求めて、ふと妾のトランクを見た時そこには一個の方のトランクが失われていました。バルザックの寝巻姿は何ものかの為に奪われてしまったのです。

 ああ! 妾は先にジョージ・佐野を失い、今また妾の魂をなくしたのです。それからの妾は孤独な花子《アナコ》の首を抱えて巴里の隅々を妾の魂を求めて逍遙《さまよ》ったのです。その中《うち》にロオズ夫人もこの世から亡くなられました。それから幾ヶ月の後か、妾は巴里停車場で紛失したバルザック像を国立のルクセンブルグ博物館で発見しました。皆様はバルザックの寝巻姿は誰の手で盗まれたかはお分りで御座いましょう。
 こうした悲劇のあった後、妾は生ける屍《しかばね》となって倫敦《ロンドン》に帰って参りました。あの時から妾の内部的な生活は終っていたのです。それから幾年か経た今夜、半ば老いた私の眼の前にジョージ・佐野は帰って参りました。これはロダンさんの神聖な愛情がバルザック像の代りに私に下さった貴重な贈り物なのです。妾の思いは達せられました。妾は佐野と一緒になつかしい妾の故郷の日本へ帰ります。佐野! 妾はあなたを愛していた! 妾は、あなたが再び妾の許《もと》を訪れる日を信じていた。今こそ妾の愛はあなたと共にあるのです。

 数日後、私は外交官の松岡、画家の山中と共に、巴里ルクセンブルグ博物館のロダンの製作品の前に立っていた。私はそこにロダンの傑作、黄銅時代、ダナイト、美しき冑《かぶと》造り、接吻等に変って、バルザックの寝巻姿が私達の心に憂鬱な余生を送る心理学者のように映るのを見るのであった。



底本:「吉行エイスケ作品集」文園社
   1997(平成9)年7月10日初版発行
底本の親本:「吉行エイスケ作品集 ※[#ローマ数字2、1−13−22] 飛行機から墜ちるまで」冬樹社
   1977(昭和52)年11月30日第1刷発行
※底本には「吉行エイスケの作品はすべて旧字旧仮名で発表されているが、新字新仮名に改めて刻んだ。このさい次の語句を、平仮名表記に改め、難読文字にルビを付した。『し乍ら→しながら』『亦→また』『尚→なお』『儘→まま』『…の様
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