ンさんに連れられた妾は、アンヴリイドの停車場から数十分で、ムウドン停車場に下りました。駅には下男とロダンさんの古い馬車が妾達を待っていました。そこから、だらだら坂になっているアカシア並木の赭土《あかつち》の途を揺られながら、ペル・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ュウ村の木立の上に風車の廻っているロダンさんの粗末なお宅につくと、薔薇園の木戸口に肉体の彫刻的に締った、銀髪のロダン夫人が立って、妾を迎えてくださいました。
晩餐後、妾達は静かに身上談《みのうえばなし》などをして、夜を更かしたのです。ロダン夫人のロオズさんは、妾の持っていた舞扇の影に、さも東洋の神秘でも隠されているように、いろいろと日本の古代の物語などを妾から聞いて、異郷の地を想像していらっしゃったようです。夫人はほんとに沈着な立派な方でした。夜が更けてロダンさんは一匹の番犬を連れて、離れの二階の寝室に妾を案内していらして、犬と妾を部屋に置くと、母屋の方に下りていらっしゃいました。
妾は一人になると、ソファに埋れて、昨今佐野と妾との内部に萌《きざ》した不和について考えると憂鬱になるのでした。もしかすると佐野は深い臆測によって、極端な誤解をしているのではないであろうか、妾は思わず妾の眼の前に、暗い未来が流れているような気持になるのです。妾の番犬は妙に落着きを失って、部屋の隅から隅を嗅いで廻っていました。妾は一処《ひとつところ》にじっとしているとひどく不安に襲われるものですから、立上ると、まるで発作を起した女のように、部屋の中をぐるぐると廻りました。そのうちに、妾は急に何ものかに封じられているような可笑しさを覚えて、寝床に顔を埋めて笑い転げました。だが、再び妾は妾の声に怯えて立上ると、狂気のように衣服を脱いで裸体になると、姿見の前で妾の肉体を映して見ました。妾はロダンさんの鑑賞力を吟味するような気持で、優美に作られた妾の小さな胸、強いカーブを持った臀《しり》、欲求に満ちた東洋女の顔にみとれながら恍惚となっていたのです。と、突然、妾の番犬が、妾が戦慄《せんりつ》するような呻《うな》り声を出して、外部の暗《やみ》に向って吠出したのです。その時妾はふと、夜陰の無花果《いちじく》の木の下に潜む、黒衣の人間の険悪な顔を姿見に認めて、恐ろしい悲鳴をあげました。すると、時を同じうして、寝室の扉が音もなく開いて、ロダンさんが幽霊のように部屋に現れたのです。妾は黒衣の人間がジョージ・佐野であることが解りました。燭台《しょくだい》の青い灯に浮いた鏡の中の黒衣の人間の顔が瞬間消えて見えなくなりました。
翌日、近東行きの列車が巴里を出発する間際になって、ジョージ・佐野は死人のように、蒼ざめて一行に加わりました。佐野は始終|俯《うつ》むきがちで、モンテカルロに着くまで殆ど誰とも言葉を交しませんでした。汽車がニースの駅を出て国境に近づくと、一行は網棚から荷物を下して、身支度をととのえましたが、彼はまるで精神のない人間のように、身動きもしないで、俯むいたまま一点を見詰めていました。やがて妾達旅芸人の一行は、ギリシヤ女の水泳する腕にも似たモナコの町に着きました。妾は黄金の粉を溶かしたようなリグリヤ海を見つめているうちに、どうやら妾達の運命が逃げ腰でいるような気がしたのです。美しい女の爪のような白帆が海上を走っていました。妾は佐野の側に行って、彼の腕をとりました。すると、それまで黙々としていた彼の顔が、危険な形相に変って、邪慳《じゃけん》に妾の腕を振払うと、モナコの花開く寺院の饗宴場に向って行ってしまいました。妾はそうした男心がなさけなくなりました。
その日の夕方、雑然と旅衣裳の散らばってる妾達のユーロップ・ホテルの居間の電鈴がさびた音を立てました。スイス・ホテルから電話でロダンさんが妾の後を追ってモナコにいらっしゃったことが分りました。その間妾は絶え間もなく、心の不安に襲われていました。ルーレットのモナコ、悪徳の町、三十九の機会《チャンス》の町、妾の運命、そんなとりとめのない頽廃《たいはい》した意思が妾を支配していたのです。妾はロダンさんと、花匂うモナコの浜に沿って、心の悲劇を象徴するような大寺院の賭博場《カジノ》に向って、馬車を走らせました。モナコの王国、円い月のかかった二つの塔の前で、黒と紅と金に装い凝らしたモンテ・カルロの巡査が、ユーロップの草花の前で澄まして直立していました。この専制君主的な儀礼の門を潜って、ロダンさんが事務所で入場券をお求めになると、妾達はこの悪徳による王国の財政の基礎の中に這入って行ったのです。
ロダンさんは心持ち若返っていらっしゃるようでした。妾は未来の運を、ロダンさんの頑健な腕と異常な人格にお委《まか》せしました。タキシード姿の役人が、奥のホールの奏楽場に妾
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