声をきいたのです。それは黒衣のロオズ夫人でした。
ロオズ夫人にお別れした妾は、当分モスコーで暮すために旅装を整えて二つの彫像を二個のトランクに入れて、巴里《パリ》停車場に車を走らせました。妾が切符売場で切符を求めて、ふと妾のトランクを見た時そこには一個の方のトランクが失われていました。バルザックの寝巻姿は何ものかの為に奪われてしまったのです。
ああ! 妾は先にジョージ・佐野を失い、今また妾の魂をなくしたのです。それからの妾は孤独な花子《アナコ》の首を抱えて巴里の隅々を妾の魂を求めて逍遙《さまよ》ったのです。その中《うち》にロオズ夫人もこの世から亡くなられました。それから幾ヶ月の後か、妾は巴里停車場で紛失したバルザック像を国立のルクセンブルグ博物館で発見しました。皆様はバルザックの寝巻姿は誰の手で盗まれたかはお分りで御座いましょう。
こうした悲劇のあった後、妾は生ける屍《しかばね》となって倫敦《ロンドン》に帰って参りました。あの時から妾の内部的な生活は終っていたのです。それから幾年か経た今夜、半ば老いた私の眼の前にジョージ・佐野は帰って参りました。これはロダンさんの神聖な愛情がバルザック像の代りに私に下さった貴重な贈り物なのです。妾の思いは達せられました。妾は佐野と一緒になつかしい妾の故郷の日本へ帰ります。佐野! 妾はあなたを愛していた! 妾は、あなたが再び妾の許《もと》を訪れる日を信じていた。今こそ妾の愛はあなたと共にあるのです。
数日後、私は外交官の松岡、画家の山中と共に、巴里ルクセンブルグ博物館のロダンの製作品の前に立っていた。私はそこにロダンの傑作、黄銅時代、ダナイト、美しき冑《かぶと》造り、接吻等に変って、バルザックの寝巻姿が私達の心に憂鬱な余生を送る心理学者のように映るのを見るのであった。
底本:「吉行エイスケ作品集」文園社
1997(平成9)年7月10日初版発行
底本の親本:「吉行エイスケ作品集 ※[#ローマ数字2、1−13−22] 飛行機から墜ちるまで」冬樹社
1977(昭和52)年11月30日第1刷発行
※底本には「吉行エイスケの作品はすべて旧字旧仮名で発表されているが、新字新仮名に改めて刻んだ。このさい次の語句を、平仮名表記に改め、難読文字にルビを付した。『し乍ら→しながら』『亦→また』『尚→なお』『儘→まま』『…の様
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