日本人の旅人が、この東洋風の祭壇のように怪奇な部屋に這入ると、扉に背をもたせて、彼の眼前に小さくうずくまった花子を凝視した。私達は、この突然の闖入者《ちんにゅうしゃ》の濃い髯《ひげ》でかくれた、中年の苦悩に刻まれた古銅色の顔、霜枯れた衣服の下で凍った靴に、死人のような膚《はだ》が覗《のぞ》いているのを見た。それと同時に、私達は、花子の絶望的な呻《うめ》きが彼女の唇から洩れるのを聞いた。すると、闖入者の顔には、記憶から記憶を一瞬に過ぎる深刻な影が走った。そして、それに不気味な笑いが伴うのであった。私は思わず背後《うしろ》の花子を振返ると、恐怖の号びをたてて慄然《りつぜん》としてしまった。その花子の顔こそアウギュスト・ロダンの刻んだ「小さい花子」の死の首なのであった。
併《しか》し、次の情景が私達を更に愕《おどろ》かした。不意の闖入者と花子とが緊《ひし》と抱き締めて、ものも云わずに黒い地面にうずくまったからである。
|小さい花子《プチト・アナコ》の話
ロダンさんは、一九○六年マルセーユに、カムボジヤの触妓《ふぎ》の素描《デッサン》をしにやってきたのです。当時私は、当市で開催されていた、植民地博覧会に、東洋曲芸団の花形として出演していました。観客は私のことをプチトアナコと云って人気者だったのです。ロダンさんはコート・ダジュールの華美なノアイユ旅館から、度々妾のお芝居を見にいらっしゃったのだそうです。妾達が最初におあいしたのは、カバレット・トアズンドルの舞踊会でした。妾は支配人と一座のジョージ・佐野(妾はこのアメリカ生れの日本人を愛していたのです。)に連れられて、歌劇の女がカカオを喫しているフランスの香のなかに哀愁的な東洋女の花を咲かしたのです。カバレット・トアズンドルの舞台では、ターバンを巻いた印度人が、細腰のヒンズー女を抱いて、宗教的な怪奇な踊りを舞っていました。妾は、皮膚の色|褪《あ》せた波斯《ペルシャ》族、半黒黒焼の馬来《マレー》人、衰微した安南の舞姫の裡《うち》にあって、日露戦争役の小さい誇を、桜の花の咲いた日本の衣服に輝かせていました。
妾は青い窓から、マルセーユ岸壁の遙かに淡く浮き出た神秘なシャトウ・ド・ディフの牢獄の島を眺めているうちに、故国の姉を憶い出して感傷的になっていました。咏嘆《えいたん》的な音楽が奏でられ、スカートの長いフランス
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