さんが幽霊のように部屋に現れたのです。妾は黒衣の人間がジョージ・佐野であることが解りました。燭台《しょくだい》の青い灯に浮いた鏡の中の黒衣の人間の顔が瞬間消えて見えなくなりました。
翌日、近東行きの列車が巴里を出発する間際になって、ジョージ・佐野は死人のように、蒼ざめて一行に加わりました。佐野は始終|俯《うつ》むきがちで、モンテカルロに着くまで殆ど誰とも言葉を交しませんでした。汽車がニースの駅を出て国境に近づくと、一行は網棚から荷物を下して、身支度をととのえましたが、彼はまるで精神のない人間のように、身動きもしないで、俯むいたまま一点を見詰めていました。やがて妾達旅芸人の一行は、ギリシヤ女の水泳する腕にも似たモナコの町に着きました。妾は黄金の粉を溶かしたようなリグリヤ海を見つめているうちに、どうやら妾達の運命が逃げ腰でいるような気がしたのです。美しい女の爪のような白帆が海上を走っていました。妾は佐野の側に行って、彼の腕をとりました。すると、それまで黙々としていた彼の顔が、危険な形相に変って、邪慳《じゃけん》に妾の腕を振払うと、モナコの花開く寺院の饗宴場に向って行ってしまいました。妾はそうした男心がなさけなくなりました。
その日の夕方、雑然と旅衣裳の散らばってる妾達のユーロップ・ホテルの居間の電鈴がさびた音を立てました。スイス・ホテルから電話でロダンさんが妾の後を追ってモナコにいらっしゃったことが分りました。その間妾は絶え間もなく、心の不安に襲われていました。ルーレットのモナコ、悪徳の町、三十九の機会《チャンス》の町、妾の運命、そんなとりとめのない頽廃《たいはい》した意思が妾を支配していたのです。妾はロダンさんと、花匂うモナコの浜に沿って、心の悲劇を象徴するような大寺院の賭博場《カジノ》に向って、馬車を走らせました。モナコの王国、円い月のかかった二つの塔の前で、黒と紅と金に装い凝らしたモンテ・カルロの巡査が、ユーロップの草花の前で澄まして直立していました。この専制君主的な儀礼の門を潜って、ロダンさんが事務所で入場券をお求めになると、妾達はこの悪徳による王国の財政の基礎の中に這入って行ったのです。
ロダンさんは心持ち若返っていらっしゃるようでした。妾は未来の運を、ロダンさんの頑健な腕と異常な人格にお委《まか》せしました。タキシード姿の役人が、奥のホールの奏楽場に妾
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