格が絶対的に完全なりや否や、なお研究の余地があるようである。けれども、比較的によく道を体現し、人格を完成したものとして、長く後世に模範を垂れたものというべきである。この観点からいえば、孔子だの、仏陀だの、クリストだの、ソークラテースだの、みな人格修養上最好の実例として仰慕すべきところである。
 倫理には普遍的一般的方面と特殊的差別的方面とがあるものと見なければならぬ。明治以来、倫理を講ずるものがややもすれば一般的普遍的の方面のみに着眼して、特殊的差別的方面を度外視するの傾向あるは、実践道徳の上から見てはなはだその当を得ざるものである。それで自分は国民道徳を力説することになったのである。国民道徳のことをいうものは明治の初年からあったけれど、これを一箇の学として講じなければならぬようになったのは、明治の末年からである。それには自分が主として関係したことで、その要旨は『国民道徳概論』にまとめてあるのである。殊に中島力造のごとく西洋倫理を翻訳的に紹介し、全く一般的普遍的の倫理を講じて、毫も東洋倫理殊にわが日本の国民道徳を説かないということはあまりに実際に適しないやりかたで、どうしても倫理は東西洋の倫理を打って一丸とし、実行するでなければならぬという考えから、余は国民道徳を主張し、学界の欠陥を補い、大いに倫理を実際的ならしむるに努力したのである。しからばその国民道徳は理想主義であるか功利主義であるかといえば、利用厚生と云う程度において功利主義と矛盾しないけれども、そこにとどまらないではるかにそれを突破して向上するものであるからむろん理想主義である。

   五 宗教観

 宗教に関しては、自分の論文はしばしば『哲学雑誌』および『東亜の光』等に発表したので、今くわしくこれを論ずるの暇はないけれど、畢竟、理想的倫理的の宗教を最も進歩したる宗教として主張したのである。宗教の発展の過程を三段階に分けて考えることができる。第一段階の宗教は原始的の幼稚なもので、道徳観念がはなはだ乏しくして、倫理上から見て無価値といっても差支えないくらいである。むしろ倫理道徳に反した残酷なことが多いくらいである。それがいっそう発展すると、民族的宗教となってだいぶ倫理道徳の要素が加わってくる。けれどもまだまだ倫理道徳に無関係なことが大部分を占めている。倫理道徳の要素は十中の三か四ぐらいのものである。ところが、宗教がもういっそう進んで、第三の段階に入ると世界的宗教となって、倫理道徳の要素が十中七、八ぐらいに進んでくる。宗教の進化発展は主として倫理道徳の要素の増進すると然らざることにあるので、今日文明教として最も勢力を有している仏教だのクリスト教だのいう宗教はこの第三段階の宗教で、人によってはこれを倫理教ともいっている。しかしながら、仏教だのクリスト教だのにしても、まだ幾多の迷信を伴ってきているので、哲学上から見れば、今日および今後の宗教としてあきたらぬところが多い。そこで歴史的に考察するときには宗教に三段階があるが、なお将来の宗教如何を考察するときには純然たる普遍的世界的の理想教または倫理教が興ってこなければならぬ。人によっては仏教だのクリスト教だのを倫理教というけれども、将来の宗教はいっさい迷信を除き去った純然たる倫理教でなくてはならぬ。いいかえれば、純然たる普遍的世界的の理想教を要求する次第である。カントは宗教哲学においてはやはり三段階を立てている。第一の段階は根本悪の時代で、その中に善に傾向する素質(Anlage)はあるけれども悪の方が勝っている。つぎは善悪混戦の時代である。そのつぎは善が悪に打ち勝って純然たる善の時代となった時をいうのである。これを純善の時代と名づけたならばよかろう。このカントの純善の時代がすなわち理想教または倫理教の時代である。自分は仏教に対しても多大の興味を有しており、その影響を受けたこともまた少なくない。またクリスト教の道徳思想に対しても崇敬の念を抱いている。であるから、すべての点において、仏教に対してもクリスト教に対してもけっして反対ではない。しかしながら、全体からいうと、純然たる仏教徒でもなければまた純然たるクリスト教徒でもない。哲学上から見て、一般的普遍的宗教の立場にあるのである。それで仏教といわず、クリスト教といわず、その他いかなる宗教といわず、すべて理想教たる倫理教の趣旨に合する点はこれを信ずるけれど、多大の迷信を伴っているところの過去の遺物は全然これを排斥するのである。神道はもとよりわが国の民族教であるけれども、一面これを純粋化し、深刻化し、広大化し、真に最後の倫理的理想教たらしむることは果してできないであろうか。これ今後の研究に属する問題である。
 いったい、倫理と宗教と、かように人を律する二種のものが併立しているのは、過渡時
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