して世界を見る、これはヘーゲルからきた考えであろうが、ヘーゲルも同じく絶対理性が永久に発展してゆく考えであるが、絶対としては発展の余地のあろうはずがない。また動という方面があれば必ず静という方面がなければならぬ。概念としては一方のみあって、その反対を否定するわけにいかない。この一般法則的状態がすなわちロゴスと名づけられてきたもので、これの世界的経営の上から見れば叡智ともいうべく、これを目的行動という方面からいえば Sollen ともいうべく、人間終極の理想ともいうべきである。
 認識はただこの現象のみについて成立し得るものである。しかしそれは経験的認識である。超越的認識はこの実在に関する認識である。畢竟認識も超認識的認識すなわち叡智とならねばならぬ。経験的認識はどこまでも差別性を離れないものである。それで実在を対現象的に見たときは、いつのまにか実在を差別視しているのである。実在は経験的認識を超越したものである、すなわち不可知的である。世界の真相は現象と実在との差別観を超越したところにあるのである。真の認識すなわち叡智はその超越界に関する次第で、悟りの境涯となってくるのである。

   三 人生哲学

 つぎに人生哲学の方面より考察してくると、こういうことになる。進化論者の側においては、二つの根本欲を立てて説明してくるのである。その二つの根本欲は生存欲と生殖欲とである。これは動植物を通じて応用せらるるのである。もとより人間もこの範囲を出でないものとして説明されているが、この点において自分はちがった考えを持っている。この点においては進化論の側からは人間の人間たる所以が説明されていない。すなわち人間の他動物と異っている特色をあきらかにすることができていない。かかる進化論者の学説がよほど広く学界に影響して、そして物質主義、功利主義、機械主義、本能主義というような主張となっていると考える。自分はどうしてもモー一つこれとちがった根本欲があるものとしなければならないと思う。それで生存欲と生殖欲はこれを自然欲(Naturtrieb)と名づけて、それ以外に智能欲(intellektueller Trieb)というものを、一つの根本欲として立てなければならぬ。これは自然欲に対する精神欲である。この精神欲を暫く知能欲と名づくるのであるが、それはまた発展欲もしくは完成欲と名づけてもよい。す
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