を混同すべきではない。「現象即実在論」は融合的実在論のことである。しからばこの融合的実在論というのはいかなる種類の実在論であるかというに、現象と実在とは分析すれば二種のちがった概念となるけれども、事実上においてはけっして空間的に分離されているものではない。この概念上から見た分析と事実上から見た事実的統一と、この混同を避けることが世界の真相を理解する上に非常に重大なことであるけれど、これが普通世の思想家によって全然看過されている。時あって、かかることに気づくことがあっても、全体からいえばそうでもない。とかく混同されている。ところが現象と実在との関係はいいかえれば、差別と平等との関係である。世界の差別的方面を現象と称し、世界の平等的方面を実在と称するので、差別即実在というのがこの現象即実在の考えである。これをわかりやすくいえば、現象は差別によって成立している、差別すればどこまでも差別してゆけるもので、世界のあらゆる現象はそれぞれ特殊性をもっているもので、二つの現象として全然同一のものはない。まず空間的にもしくは時間的に差別されている。そのうえに諸種の特殊性がそなわっているもので、この差別をあきらかにするのが認識の作用として一つの重大なる効果をもたらしているけれども、世界のあらゆる現象を通じてまた平等の方面がある。いかなる現象といえども特殊性はあるけれども、全然他の現象と異っているものではない。いいかえてみれば、あらゆる点において根本的に差別されているものとはいえない。いっさいを包括してそれを現象という点からみても、いっさいの現象に共通性のあることは予想されているのみならず、また現象の中に、共通性の多大なものがある。それらが分類され統一されて、ここに特殊の科学的組織ができる次第である。そのすべての現象に共通性のあるというのはすなわちその平等の方面である。一方面から見れば千差万別であるけれども、他方面から見ればすべてを通じて共通した平等的方面がある。いかなるものもそれが物質的のものならば必ず元素から成り立っている。元素は原子から成り立っており、原子は電子から成り立っている。物質的のものは複雑な現象を呈しているけれど、一として元素より成り立っておらぬものはない、原子より成り立っておらぬものはない、電子より成り立っておらぬものはない。しかしなお押し拡げて精神現象までこめて眺めて
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