芸術論
つぎに、芸術について一言すれば、芸術は畢竟人工的に美の理想を実現するにあるので、自然美に対すればその進歩は比較的はるかに迅速である。芸術美と自然美とにかかわらずすべて美は主観的のもので、けっして客観的のものではない。しかし美が単に主観的たるにとどまっていては、芸術は成立しない。諸種の材料をかりて美を客観的にあらわすに当って芸術が成立するのであるが、芸術は単に快感の客観化されたものではない。快感を超越した要素がなくてはならぬ。もとより崇高、深遠、幽邃、壮大、雅麗等の諸性質はそなえておらなければならぬが、また超快感的の気韻情調の観るべきものを必要とする。すなわち人を引いて彼岸の理想境に入らしむる底の魅力がなくてはならぬのである。しかし芸術の原理を功利的に見る一派がある、その説によれば芸術はいかにしても功利的に制限されるものである。社会の要求により、経済の状態によって制限されるもので、芸術家もその要求に応ずるような態度に出でて、その要求の向うところに発展をとげる。かようにして芸術は畢竟功利的に制限され、客観的にその性質を規定されるもので、主観的にいかに高尚な理想があっても発展の遂げようがないとみる人があるけれど、それは真の芸術を理解したものではない。単に功利的に制限され、規定されるようなものはけっして崇高の真の芸術ではない。芸術の原理はこれを主観的に求めなければならぬ。芸術の上乗なるものは、快楽主義や功利主義を超越したものである。
八 法理論
法理について一言すれば、法理はやはり哲学的に根本原理によって解釈さるべきもので、単に経験的に、帰納的に解釈をしても、満足な解釈の得らるべき性質のものではない。人によっては法理は進化論的に解釈すべきものと考えているけれども、それは法理の変遷、推移の跡を尋究するだけであって、法理そのものの根本的の解釈ではない。法理の根本的原理をさかのぼってゆけば、どうしてもロゴスというような哲理にもとづかなければならぬ。世界のあらゆる方面に法則態の現われがあるが、人間社会を整理し、統御してゆくに当っては、法律制度のごとき諸種の規定を要する次第で、その法律制度の改正というようなことは、時世境遇の変化とともに必要となるが、その原理は法律制度そのものの中において求むべきではない。どうしてもその法律制度の拠って起るところの根本原理に基づ
前へ
次へ
全12ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
井上 哲次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング